上野焼 〜
洗練された薄さと色の美しさで心打つ作品をつくっていきたい。
明治維新後に一度衰退の危機を迎えながらも明治35年に復興し、昭和58年に国の伝統的工芸品の指定を受けた上野焼。その誕生は今から約400年前。千利休に茶を学び、高名な茶人でもあった大名・細川忠興が1602年に朝鮮からの陶工・尊楷を招いて、陶土に恵まれた上野(福智町/旧赤池町)に開窯させたのが始まりとされています。開窯後は、細川、小笠原と歴代藩主が愛用した藩窯として栄え、格調高い茶陶を献上し続けた上野焼は、今の直方市にあたる筑前国で作陶されていた高取焼などと共に、遠州七釜の一つにも数えられました。
現在、福智町には26軒の上野焼の窯元が点在。今回、お話をうかがった梶原窯の梶原陽光さんは、上野焼の特長はという問いに「一見、重厚感のあるフォルムとデザインでありながら、手にした時の軽さが驚きとなる。それこそ上野焼の特長であり、品の高さを表しているのではないかと思います」との答え。形や色合いはもちろん、茶陶らしい上品な薄づくりこそ洗練された上野焼の証だと考えています。
また、梶原さんが上野焼を作陶する上で気を配っているのが、多彩な釉薬を使いこなすことで浮き出された多種多様な色文様。伝統的な上野焼の釉薬、灰、鉄、銅釉などを使いオリジナリティに富んだ様式美を表現しています。なかでもこだわっているのが、銅の特性を効果的に使った緑青や、赤い焼物。銅釉を酸化させたり、還元させることで、緑青から緋色のような赤まで自由自在に浮き出す技術は、何度も試行錯誤を重ねた中で身につけたもの。「一度調合し、いくつもの釉薬を重ねて『これだ!』と思った釉薬さえ、その調合瓶が無くなると、もう二度と同じ物はつくれない」と梶原さんは言います。
「昔の上野焼には、心を打つ作品がとても多く、私も、感動を与えられる上野焼をつくっていきたいです」と将来の夢を語ってくださいました。
現在、福智町には26軒の上野焼の窯元が点在。今回、お話をうかがった梶原窯の梶原陽光さんは、上野焼の特長はという問いに「一見、重厚感のあるフォルムとデザインでありながら、手にした時の軽さが驚きとなる。それこそ上野焼の特長であり、品の高さを表しているのではないかと思います」との答え。形や色合いはもちろん、茶陶らしい上品な薄づくりこそ洗練された上野焼の証だと考えています。
また、梶原さんが上野焼を作陶する上で気を配っているのが、多彩な釉薬を使いこなすことで浮き出された多種多様な色文様。伝統的な上野焼の釉薬、灰、鉄、銅釉などを使いオリジナリティに富んだ様式美を表現しています。なかでもこだわっているのが、銅の特性を効果的に使った緑青や、赤い焼物。銅釉を酸化させたり、還元させることで、緑青から緋色のような赤まで自由自在に浮き出す技術は、何度も試行錯誤を重ねた中で身につけたもの。「一度調合し、いくつもの釉薬を重ねて『これだ!』と思った釉薬さえ、その調合瓶が無くなると、もう二度と同じ物はつくれない」と梶原さんは言います。
「昔の上野焼には、心を打つ作品がとても多く、私も、感動を与えられる上野焼をつくっていきたいです」と将来の夢を語ってくださいました。
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上野焼 梶原窯。伝統工芸士。伝統的な茶陶をはじめ、食器、飲食器、ランプシェードなども作陶。博多織や久留米絣など、他の伝統工芸とコラボすることで上野焼の普及に取り組んでいる。
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匠ギャラリーにて「上野焼 梶原窯作陶展」
2008年11月10日(月)〜11月16日(日)まで開催!
【10:00〜18:00(初日12:00から最終日16:00まで)】
▲上野焼
▲左は銅釉を還元させて赤く、真ん中は酸化させ緑青の湯のみになる
▲ランプシェードなど、インテリア性に富んだ作品も制作
▲半乾き状態のものの高台を削り、寸法を合わせて仕上げをする