櫨蝋 〜
良いものを残し、正しく伝えていく。松山櫨復活はそのひとつです。
燃えるように真っ赤な紅葉が印象的な櫨。福岡で櫨と言えば、久留米市・柳坂曽根の櫨並木が有名かもしれません。しかし江戸時代の頃、最上品種として名高く、県を越えて日本各地で重宝された有名な櫨が福岡にありました。それが田主丸町生まれの「松山櫨」です。松山櫨は、享保15年(1730年)頃、現田主丸町の庄屋であった竹下武兵衛が、「松山」という場所で自然変異の一種を発見。その後、初めて栽培し、広めたものです。江戸時代、櫨の実から採れる櫨蝋は、ろうそくや鬢付け油などに使われていました。当時一般的に流通していた櫨は、松山櫨を含めて7種。中でも蝋分が多く、和ろうそくの上掛けとしても優れていたことから、松山櫨は高値で取引されていました。一時は、藩の財源としても需要が高まり、耳納山や畑の横にも櫨が植えられていました。しかし時が移り、石油や電気が普及すると櫨蝋の需要は減少。多くの櫨の木が伐採され、地元の「松山櫨」も途絶えてしまったのです。
今回お話をうかがったのは、地元から絶滅した松山櫨の復活に尽力する「松山櫨復活委員会」の矢野眞由美さん。「私が松山櫨を知ったのは偶然でした。ただ、調べるほど櫨蝋の素晴らしさを知り、自然物の良さが見直されている現在こそ松山櫨を復活したいと思ったんです」とのこと。最終目標は「懐かしい松山櫨の景観を地元に復活させること。そして、櫨蝋を通して昔から伝わる工芸や文化、良いもの、本物を残したい」と矢野さん。その為にも今は、松山櫨のことを少しでも多くの人に知ってもらい、櫨蝋の素晴らしさを認識してもらうことが大切。定期的な会報紙の発行やブログの更新と平行して、委員会メンバーや地元のNPO団体と協力し合い、松山櫨の植樹や、各イベントで和ろうそくづくりを行ったり、和ろうそくの販売をしています。「和ろうそくに興味をもつ人が現れて、地元に和ろうそく職人が誕生すれば素敵なこと」と、矢野さんの夢は果てない様子でした。
今回お話をうかがったのは、地元から絶滅した松山櫨の復活に尽力する「松山櫨復活委員会」の矢野眞由美さん。「私が松山櫨を知ったのは偶然でした。ただ、調べるほど櫨蝋の素晴らしさを知り、自然物の良さが見直されている現在こそ松山櫨を復活したいと思ったんです」とのこと。最終目標は「懐かしい松山櫨の景観を地元に復活させること。そして、櫨蝋を通して昔から伝わる工芸や文化、良いもの、本物を残したい」と矢野さん。その為にも今は、松山櫨のことを少しでも多くの人に知ってもらい、櫨蝋の素晴らしさを認識してもらうことが大切。定期的な会報紙の発行やブログの更新と平行して、委員会メンバーや地元のNPO団体と協力し合い、松山櫨の植樹や、各イベントで和ろうそくづくりを行ったり、和ろうそくの販売をしています。「和ろうそくに興味をもつ人が現れて、地元に和ろうそく職人が誕生すれば素敵なこと」と、矢野さんの夢は果てない様子でした。
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松山櫨復活委員会 幹事。毎月15日発行の「松山櫨便り」と、ブログ「松山櫨復活奮闘日記」を更新。松山櫨の植樹や和ろうそくづくりを通じて、地元の匠たちと松山櫨復活に奔走している。
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匠ギャラリーにて『櫨の魅力展』
2008年12月22日(月)〜28日(日)まで開催!
【10:00〜18:00(初日12:00から最終日16:00まで)】
▲櫨の実。櫨蝋は、櫨の実の外殻を圧搾して搾りとった油脂分から作られる
▲松山櫨の植樹は、私有地や庭へ1本でもいいので植樹を希望する人を募っている
▲子どもも簡単に参加できる和ろうそくづくりなどを通じて櫨蝋の良さを広めていく
▲櫨蝋でつくる和ろうそくの灯りはやわらかく、黒いすすが出ないのが特徴