≪福岡グランドクラシックス2010≫ ミシェル・ダルベルト ピアノリサイタル
※このイベントは終了しました。
シューベルト弾きの大家として唯一無二のピアニスト
シューベルト弾きの大家といわれるミシェル・ダルベルトが、シューベルトはもちろん生誕200年のシューマンなど、得意のプログラムを携えて福岡シンフォニーホールへ初登場です!
◆Fukuoka Grand Classics 2010◆
イベント詳細
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シューベルト弾きの大家として唯一無二のピアニスト
概要
会 場 | 福岡シンフォニーホール |
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入場料 |
【一般価格】 S席4,000円 A席3,000円(学生各席1,000円引)
座席配置図
【友の会価格】 S席3,600円 A席2,700円(学生各席1,000円引) ※シニア割引なし |
チケット |
アクロス福岡チケットセンター TEL:092-725-9112 チケットぴあ TEL:0570-02-9999 [Pコード:341-226] ローソンチケット TEL:0570-000-407 [Lコード:86305] |
曲 目 | シューマン:3つの幻想的小品 op.111 シューマン:幻想曲 ハ長調 op.17 シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960 |
お問い合わせ | アクロス福岡チケットセンター TEL:092-725-9112 |
プロフィール
パリ生まれ。クララ・ハスキル・ピアノ・コンクールおよびリーズ国際ピアノ・コンクールで優勝し、一躍注目を集めた。これまでに、ラインスドルフ/パリ管、コリン・デイヴィス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管、サヴァリッシュ/スイス・ロマンド管、マズア、スラトキン/フランス国立管、インバル/ウィーン響、(旧)ケルン放響、デーヴィス/ロンドン・フィル、デュトワ/モントリオール響、ホーネック/オスロ・フィル、テミルカーノフ/サンタチェチ—リア管等と共演。名盤CDも、数多くある。1991年以来、クララ・ハスキル国際コンクールの審査委員長を務めており、現在は名門イタリアのイモラ音楽院でも後進の指導にあたっている。1996年にはフランス政府から国家功労勲章を授与された。日本では、NHK交響楽団や東京都交響楽団と共演し、絶賛される。
2006年放映のNHKテレビ「スーパーピアノレッスン」では講師を務め、エスプリに富んだ演奏を披露した。
今回の福岡公演に先立ち、プログラムに登場するシューベルトとシューマン2人の作曲家について、ミシェル・ダルベルトにうかがいました。
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シューベルト(1797-1828)とシューマン(1810-1856)を組み合わせたプログラムというのは決して光り輝くような新しい試みとは言えないでしょう。それは丁度ショパンとリストとかラベルとドュビッシーの組み合わせのように、シューベルトとシューマンのプログラムというのは間違いなく「勝算あり」のプログラムなのです。しかし、そこで私は一つの疑問を抱きます。この同時期を生きた彼ら2人が実際に会った事がなかったということをみんな知っているのだろうか?シューベルトの弟フェルディナンドの家で、おびただしい数の手書き楽譜を見つけ、絶対に出版するべきだと周囲と出版社を説得したのは、他ならぬシューマンであったということも。
この二人の作曲家は会う事はありませんでした。シューマンが初めてウィーンに行ったのはシューベルトの死後10年たってからのことで、彼はフランツの弟であるフェルディナンドに会いたいと思っていました。シューマンにとって彼の家に行くのは、まるでアリババが「ひらけごま」と言ってあの洞窟に入って行ったのに等しい体験だったのでしょう。文字通り隠された財宝であるシューベルトの手書きの楽譜、交響曲9番『グレイト』、ハイネ歌曲集、2台のチェロのための弦楽五重奏曲、そして幾つかのピアノ・ソナタも見つかったのです。フェルディナンドに亡き兄の思い出の書き残すべきだと説得したのもシューマンでした。しかし何よりも重要なことは、シューマンの尽力無くしては、これらの晩年の作品が日の目をみることは無かったということなのです。現在私達が感謝してもしきれない程のことをシューマンはしてくれたのでした。
正直に告白すると、シューベルトという一個人の人生に涙するほどの感動を覚える私にとって、シューマンという人間に対しても暖かく優しい愛情を抱かずにはいられないのです。私はシューマンの人生における数々の成功よりも、その挫折の日々を愛おしく思います。一流のピアニストになりたいという決意の下に一日10~12時間ピアノを練習し続け、その結果、指の関節が麻痺してしまいピアニストになる道を諦めることを余儀なくされました。また師であるフリードリヒ・ヴィークの娘クララを愛するようになりましたが、ヴィークに激しく結婚を反対され、彼は彼女と共に生きていけるようにあらゆる手を尽くして闘いました。彼女との結婚に対して公の承認を得るために、裁判所にまで出向いたのです。しかしその努力にもかかわらず、結婚して数年後には、妻であるクララにとってピアニストとしてのキャリアの方が結婚生活よりもずっと重要であるということが明らかになり、それはシューマンの晩年に暗い影を落とすことになりました。指揮者として成功できなかったことも彼を大変落ち込ませる要因でした。シューマンの人生は過酷な運命に対して闘いの連続だったといえるでしょう。それは少しベートーヴェンの人生に似ているかもしれません。しかしながら、ベートーヴェンは広義の意味での人類、ヒューマニティーの為の闘いであり、シューマンのそれは自分自身の人生における大変に慎み深い戦いだったのです。
このように表現の方法は異なるにしても、シューマンとシューベルトはまるで兄弟のように人生に対する姿勢を共にしています。自分自身の魂の悲しみを表現したその音楽は、私たち自身の魂に届き、彼らの言葉は私たち一人ひとりに語りかけるのです。そして、それによって私たちの魂も安らぎを得るのでしょう。
ミシェル・ダルベルト
レポート
ミシェル・ダルベルト ピアノリサイタル 公演レポート
4月から始まった福岡グランドクラシックス2010の最後となる「ミシェル・ダルベルトピアノリサイタル」が行われました。アンコール曲目紹介
ショパン:前奏曲嬰ハ短調op.45
ラヴェル:夜のガスパールより 第1曲「オンディーヌ」
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