「ACROS」2016年9月号
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(文 上田瑞穂)たていとよこいと小さいころから興味があったのは文学で、とにかく本を読んでいれば幸せな子どもでした。必然的に大学進学も文学部を選び、ここで人生の転機となる出会いがありました。世阿弥の研究をしようとして能舞台を観る機会が多くなり、その舞台装束に心を奪われてしまったのです。なんて美しいんだろう、と。もちろん装束は歴史を経るなかで作り直しているのですが、色彩感などは何百年も変わっていません。色の中に日本人の潜在的な美意識を感じ、この世界にのめりこんでいきました。西洋の洋服は、形が立体的で、カッティングなどで個性を出す代わりに、色は比較的シンプルなものが多いですよね。対して、和服は平たんで形がシンプルなだけに、色や柄で立体感を表現する。これが面白いと思ったんです。シンプルな平面のなかに、無限の表現ができることにワクワクしました。私は美大などで専門知識を学んだわけではありません。もちろん技術は染織研究所などで習得しましたが、文化や工芸には技術を大前提としたうえで、それ以上に各人が持つ「感覚」が最も重要になると思っています。私自身には文学や演劇といった、自分の中にさまざまな水脈があり、それらがそれぞれ流れ出た先に、一つの大きな「染織」という川が生まれる。自分が持っているさまざまな興味や、会得してきた知識や感覚がすべて重なった先に作品があると思っています。だからこそ文化は直接学んですぐに体現できるものではなく、経験や風土、感性といったその周りにある小さな要素の積み重ねによって生まれるものではないでしょうか。そうやって生き出されたものは普遍的な力を持っていると思います。今年4月にミラノのデザインウィークに参加してきたのですが、イタリアの風土に小倉織がなじむ姿を見て、文化の持つ力を再認識しました。350年以上もの歴史を持っていた小倉織は昭和初期に一度途絶えました。経糸が緯糸の3倍の密度を持つためにたて縞の文様となるのが特徴で、地厚で丈夫な木綿の布。経糸を減らして織りやすくすればいいのに、先人たちはそれをせず、あえて織りにくくても独特の風合いを持つ、丈夫なこの織り方を守ってきました。私は復元するにあたって、自分の感性や感覚をデザインには生かしてきましたが、先人たちが頑なに守ってきたものはそのまま残しました。工芸はその土地の風土と気質に根差しています。この土地だからこそ生まれ、育まれてきたものを、この土地で復元させることに意味があると思っています。工房は北九州市八幡東区に構えていますが、きちんと四季が訪れるこの街は、文化を生み出すにふさわしい土地ですね。春夏秋冬がバランスよく訪れ、大都会ではないので自然の移り変わりを肌で感じやすい。植物の一年のサイクルに合わせて草木染めを行っているので、日々土や風と向き合える福岡という場所は、私にとって最適な仕事場です。ゆう遊生染織工房主宰プロフィール北九州市生まれ、染織家。早稲田大学文学部を中退ののち、染織研究所、久米島、信州等で紬織を学ぶ。1984年に小倉織を、1994年に小倉縮を復元。日本伝統工芸染織展文化庁長官賞や西部工芸展朝日新聞大賞など、数々の受賞歴を持つのに加え、2016年G7北九州エネルギー大臣会合の会場装飾や記念品に作品が選ばれるなど、多方面で活躍している。2012年福岡県文化賞受賞。Tsuiki Noriko 2016.September12    #6築城 則子

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