「ACROS」2017年7月号
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 故郷、福岡を離れてもう40年になります。もう、と言いましたが40年なんてあっという間、一炊の夢ですね。若いころは、自分には無限の可能性が広がっていると信じていましたが、今は人生で達成できることはほんのわずかだと思うようになりました。ただ一筋にやってきたことでさえも、諸先輩方が積み上げてきた歴史に一円玉を一つ積み上げた程度の功績でしょう。そう感じたので還暦を迎えたときに、72歳を一つの目標ととらえました。この12年間で、集大成と言える仕事をしたいという想いから、現在大河小説である「家康」の執筆に挑んでいます。この作品では、今まで「江戸史観」で捉えられていた家康像にとらわれずに、全く新しい家康を描き出していくつもりです。そういった視点を私が持てるのは、福岡出身だからかもしれません。 私が育ったのは福岡県八女市黒木町という、南北朝時代に南朝が最後に逃げ込んだと言われる山間の集落。小さいころはまだテレビもない時代でしたから、囲炉裏端で祖父母から南北朝動乱の話などを聞くのが楽しかった。成長して「太平記」を読むと、祖父母が話していた話のままで、小さいころから思わぬところで歴史小説に触れ合っていたことに気づきましたね。その後上京し、16年前からは仕事場を京都にも置き、月の半々を東京と京都で過ごしています。武家の中心地であった江戸と都であった京都で暮らしていると、この二都市に加えて、古代よりアジアの玄関口であった福岡が、日本の三大歴史拠点だと感じます。朝鮮通信使を迎え入れたり、栄西禅師がお茶や饅頭を伝えた福岡は、古くから世界に向けて大きく門戸を開いた町でした。その気質が今も人々に残っているため、日本の他の都市に比べて開放的で国際感覚が養われている人が多いように思います。日本の歴史観は日本史と世界史を別々に教える学校教育からもわかる通り、内にこもっています。内側からだけの視点から書かれたものが多い。私の作品はその壁を取りのぞき、例えば家康を通して大航海時代と同時代だった戦国時代を紐解きたいと考えています。鎖国時代、外にあれほどの列強諸外国があることを一般庶民は全く教えられていなかった。そのときの史観のまま、戦国時代を語ると大きく読み誤ります。あれほど絢爛豪華だった桃山文化や豪壮な城の建築ラッシュを見るだけでも、あの時代が高度成長期だったことがわかりますし、利休がインド更紗を使っていたりと諸外国との貿易も活発であったことがわかります。教科書を鵜呑みにするのではなく、ほんの少し疑問を持つだけで歴史観は大きく変わるでしょう。歴史に限らず、インターネットであふれる膨大な情報をただ傍受するのではなく、それを精査する力を養うことが現代の我々には必要かもしれませんね。 そして元来、他を受け入れる気質を持った福岡こそが、日本の文化の先進地となる素晴らしい可能性を有していると思います。(文 上田瑞穂)122017.JulyAbe Ryutaroプロフィール1955年、福岡県八女市生まれ。国立久留米工業高等専門学校機械工学科卒。1990年「血の日本史」でデビュー。2004年「天馬、翔ける」で第11回中山義秀文学賞を、2013年「等伯」で第148回直木賞を受賞。現在大河小説「家康」全5巻構想のうち、1巻を発刊中。次作は阿倍仲麻呂を主人公にした遣唐使の話を執筆予定。2015年福岡県文化賞受賞。作家#16安部 龍太郎

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