「ACROS」2017年10月号
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(文 上田瑞穂) 福岡に住み始めてもう三十余年になります。それまでは中国の吉林省で、国家第一級芸術家として後進の育成と演奏に励んでいました。私の義母、つまり妻の母は日本人で、日本に留学をしていた義父と出会って結婚をし、中国の大学で日本語を教えていたのですが、ある時日本に親しみを抱いていた妻の家族がみな、一緒に日本へ移住したのです。父母のそばに行きたいという妻の望みを私もかなえてあげたかったのですが、私は中国でも数少ない一級の演奏家。なかなか国から手放してもらえず、私たち夫婦だけ親族と離れて中国で暮らしていました。確かに中国にいれば仲間はいるし、楽団もいつでもそばにあるし、いい待遇ではありました。しかし私には、妻の家族から聞いていた日本という国で胡弓の響きを試してみたいという気持ちがあったのです。 さまざまな人とのご縁をいただき、1986年にやっと日本に来ることができました。まだ福岡には直行便がなく、降り立ったのは長崎空港。ゲートを出ると妻の家族や親族たちが待ってくれていたのですが、その中に一人の新聞記者の方がいました。その記者は東京で私のうわさを聞き、中国からの情報を調べ尽くして、私の来日を待ってくれていたそうです。翌日の新聞に大きく写真が載り、それをきっかけにテレビ局が次々と取材に来ました。テレビで少しだけ演奏すると、その反響がすごいのです。若い人には初めて聞く音、そして戦時中に中国に住んでいた人には懐かしい音として、あっという間に人気が広がりました。胡弓の音は、人の声に似ているとよく言われます。喜びや悲しみを音で表現しやすく、人々の心の琴線に触れるのでしょう。日本語がわからなかった私の代わりに、胡弓の音が私と日本人の心をつなげてくれました。 あるとき、コンサート会場で演奏が終わったあとも立とうとしないご婦人がいました。真っ白の立派な着物を着て、涙を流しておられるのです。私が近づくと、「戦中、日本は中国で酷いことをしたのに、こんなにも素晴らしい音楽を聞かせてくれてありがとうございます」といわれ、その着物にサイン大きく書いてくれと請われ感動しました。このとき、音楽は国境を超える、きっと日本でもやっていけると確信しましたね。 日本の歌も大好きなんです。山田耕作の「赤とんぼ」なんて、たった八小節で人の感情を表現する素晴らしい曲ですよね。今は福岡のみならず各地で胡弓の教室を開催していますが、この音色が少しでも中国と日本の良好な関係構築の役に立てたらと思います。2017.October16プロフィール1941年中国東北遼寧省生まれ。5歳から胡弓に親しみ、17歳で吉林省民族楽団に入団、21歳でコンサートマスターに。アジア、アフリカなど各国で活躍し、1977年には中華人民共和国より「国家第一級芸術家」(人間国宝)の称号を受ける。1986年日本永住のため来日。長崎国際平和コンサートを皮切りに、日本国内300カ所のみならず、2004年にはNYのカーネギーホールでも演奏をするなど国内外で活躍している。2003年福岡県文化賞受賞。zhao guo liang胡弓演奏家立をし派てなく着れ物とに言」わとれ躊ちゅたう躇ちのょしでたすの。「でこすんがな、#19趙 国良
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