「ACROS」2018年3月号
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(文 上田瑞穂) 300年以上続く「ちがいわ窯」に私が生まれたのが、昭和30年代。当時の小石原焼は一子相伝のみで継承されており、8〜9軒くらいしか窯元はありませんでした。それが昭和30年代の後半、父や祖父の時代に民陶ブームが起こり、一子相伝の流れもなくなって小石原に新しい窯元が続々と誕生し始めたのです。私が大学を出て家業に戻ってきたころには40軒近くにまで増えていました。その時に悩んだのは、「一体自分は何をしたらいいのか?」ということ。需要と供給のバランスを考えると、この小さな村で他の人と同じものを作ってもきっと余ってしまう。他の40軒と同じことをしていては意味がないと、自分なりに頭を悩ませたのです。当時は備前焼に代表されるような、釉薬をかけない「焼締め」が全国的にはやっていたのですが、こういう「ブーム」にも流されないよう気を付けました。他者と同じことはせず、この地で300余年継承してきた伝統を守りながらも、新しいことを生み出していこうと模索したのです。 私が心に決めたのは、「小石原産の材料を使って、これまでになかったものを作り出す」という伝統と創造の両立。「小石原で初めて」ではなく、九州で、日本で初めてのものを作り出すことを求めました。また、これまで「秘伝」とされてきたものを、科学的に立証することにも注力しました。「なんとなくの勘で」とか「たまたまうまくいって」偶然できたものは、作品とは言えません。再現性があって初めて、その人の作品と呼べるのです。もちろん再現率は50%はおろか、30%でもも「偶然」ではなく、そうなるよう仕込んだ結果であることが大切。そのために何度となく失敗を繰り返し、無駄なこともたくさんしてきましたが、その全ては必要な失敗であったと思っています。一つの色を作るのに10年かかることもあるんですよ。陶芸家には根気とあきらめの悪さが必要な素質かもしれませんね。 今回、福岡県の陶芸家としては初めて国指定重要無形文化財保持者に選んでいただき、責任の重さを改めて感じています。これは、今までに多くの先人たちが陶芸展などを創設し、運営してきてくれたからこそ、私もそこに応募し、評価を受けるチャンスをもらったのです。公平な目で評価される場があるというのはとても恵まれたこと。若い陶芸家の中には「いい作品ができたら応募する」なんて言う方もいますが、もったいないですよね。いい作品ができたらではなく、その締切日を試験日と思って、そこに向けて自分を追い込まなくてはいけない。その繰り返しの中で、自分の技術も上がり、また他者からの公平な評価を得ることができるのです。後進の育成も私に課せられた役割だと自覚しています。信念を持って、伝統文化に取り組む若者が増えてくれることを祈ります。12Fukushima Zenzoか2018.Marchプロフィール昭和34年小石原焼ちがいわ窯に生まれる。第15回日本陶芸展大賞桂宮賜杯、第50回日本伝統工芸展日本工芸会総裁賞など、受賞多数。東京国立近代美術館やMOA美術館、兵庫県陶芸美術館など、全国の美術館に作品が所蔵されている。平成12年福岡県文化賞受賞。平成29年、重要無形文化財保持者に認定。10%でもないかもしれませんが、それで陶芸家#24最終回福島 善三
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