#14 キルト作家 山口 怜子 (Yamaguchi Reiko) - アクロス福岡
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伝えたい文化の魅力

#14 キルト作家 山口 怜子 (Yamaguchi Reiko)

キルト作家 山口 怜子

キルトを始めてからちょうど半世紀になります。50年前にこの酒蔵に嫁いだころは、まだパッチワークやキルトという言葉も知りませんでした。「盆暮れのご挨拶に、何か心のこもったものを贈りたいな」と、蔵にあった酒袋を使って、日用品などを作って贈ったのがそもそもの始まり。江戸時代から続く酒蔵なので、蔵男が使っていた着物や調度品などが蔵にはありました。姑がとてもセンスがいい人だったので、それらを活用して一緒にいろんなものを作るのが楽しくて。物差しでパターンを起こして、家族で製図をしていたのが、結果的に日本キルトの始まりと呼ばれるものになりました。宮大工の技で「規矩法(きくほう)」という、建物のカーブなどを出すための計算方法があるのですが、これも親戚の叔父から習って、キルトの手法に取り入れました。今のパターンはこの規矩法から編み出しています。当時、日本は尺貫法を用いることが禁止され、メートル法の単位に統一されたのですが、その時に親戚がご縁で知り合った團伊玖磨さんや中村八大さん、永六輔さんたち有名人の方々が尺貫法復権運動を起してくれ、パターンを残す応援をしてくださいました。人とのご縁には何より感謝していますね。

ご縁といえば、あるとき蔵に泊まりに来ていた外国人のお客様に、寒い季節だったので布団の上にキルトをかけて差し上げたことがあるんです。すると「これは素晴らしい、ぜひ国で紹介したい」と感動されて、なんとご婦人方の資金とカンパでアメリカにご招待いただきました。現地で開催されたキルトのコンテストで紹介され、入場者による人気投票で数多くの賞をいただいて。「日本人女性がすべての賞をかっさらった」と東部の新聞で報道され、会場で講演を依頼されました。その後、ワシントンDCの駐米大使のパーティーで作品を紹介していただき、スミソニアン博物館から講演の依頼が舞い込んだりと驚きの体験が続きましたね。ただ、その時に脳裏に浮かんだのは「酒蔵の女将と言う立場と、アーティストのどちらを優先させるか」。私は主婦であることを選び、すべての依頼を断って帰国しました。

その後、大手新聞社の主催する日本巡回展がきっかけで日本キルトは大きなブームとなりました。私はキルト大使として、米国や中国を始め世界各国から数々のご招待をいただき、国内でもチャリティー展など開催させていただいております。

2017年1月には世界基準国際芸術文化協会による世界造形芸術栄冠大賞もいただき、ますますキルトにもらったご縁に感謝しています。とはいえ、私の人生にとって一番大切だったのは、やはりこの酒蔵に嫁いできたこと。「人生は一本のお酒から」とよく言うのですが、ここに来たからこそキルトを始め、人と出会い、次々と活動の範囲が広がっていきました。与えられた環境の中で常に好奇心を持ち続けたことが、文化の発信に繋がっていったのかもしれませんね。
(文・上田瑞穂)

プロフィールパッチワークキルト作家。「庭のうぐいす」の銘柄で人気の山口酒造場10代目女将。1982年、アメリカのナショナルキルト連盟より最高賞であるブルーリボン賞を受賞。1990年には日本巡回展を開始する。地熱料理研究家としても活躍中。平成21年福岡県文化賞受賞。