#22 フルーティスト 瀬尾 和紀 (Seo Kazunori) - アクロス福岡
Language 検索
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • Twitter

伝えたい文化の魅力

#22 フルーティスト 瀬尾 和紀 (Seo Kazunori)

フルーティスト 瀬尾 和紀

父が大学でフルートを教えており、母も声楽家であったため、小さいころからクラシック音楽が身近にある環境で育ちました。楽器はおもちゃのような存在で、音を出すのが楽しくて、仕方なかった。フルートはある程度身体が大きくならないと持つことができない楽器なので、最初はピアノで遊んでいました。フルートをきちんと手にしたのは10歳くらいでしょうか。それも父に一度指使いや音の出し方を習ったくらいで、誰かに師事したわけではなく、幼少期はただ自由に、遊びの延長線上に楽器があり、家にあふれている楽譜を引っ張り出しては吹いて楽しんでいましたね。中学生ごろからやっと父の勧める先生のもとで教わり始めましたが、そのときもまだ「楽しい」という感覚だけでした。今、子どもたちを指導する立場になって改めてわかるのですが、子どものほうが先入観も癖もなく、素直で自由な音を奏でます。そこでコツをつかんだ子は、将来の伸びしろも大きい。練習を強いるのではなく、まずはのびのびと音楽を好きになる時間を多くの子どもには持ってほしいなと思います。

17歳で渡仏したのですが、それまで東京にすら行ったことはなく、北九州で音楽と触れ合っていました。地方のデメリットなどを聞かれることもありますが、私個人の体験からいうとあまり感じたことはないですね。確かにそんなに頻繁にコンサートなど生の音楽に触れられたわけではありませんが、それでも年に数回は北九州や福岡でも聞く機会がありました。後の師匠となるパトリック・ガロワの演奏を初めて聞いたのも北九州です。今はインターネットの動画サイトなどで聞きたい演奏会などを気軽に耳にできる時代ですが、当時はそんな便利なものはないため、全身全霊をかけてすべて吸収しようと真剣に聞いていましたね。集中力が今とは違っていたような気がします。生の演奏を身体で感じて得るものは計り知れません。クラシックのコンサートは敷居が高いと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、ぜひまずは一度ご自身で体験してみてほしいと思います。

クラシックへの興味を持つ人が減少していることを受けて、さまざまなアイデアで「はじめの一歩」を促している方も多くいらっしゃいます。エンターテインメントとしての音楽の普及は素晴らしいことですし、そういった取り組みもとても大切だと思うのですが、それと同時にアートとしての音楽を追求する心を忘れてはいけません。長い歴史の中で、音楽が果たしてきた役割は芸術に寄与しているはず。その原点を守り、後進を育てていきたいですね。10年ほど前から夏の10日間、秋吉台の山の奥で音楽に没頭するという「秋吉台ミュージックアカデミー」を開校しているんです。志を同じくする同世代の音楽家が集い、将来の演奏家を目指す若者たちを指導していますが、これが10年も続いたのは「芸術としての音楽」を求める人がまだまだ多くいる証。自分が演奏するだけではなく、こういった「場を作る」ことも自分に課せられた大切な役割だと感じています。
(文・上田瑞穂)

プロフィール福岡県北九州市生まれ。91年渡仏し、95年パリ国立高等音楽院に首席で入学。98年審査員満場一致のプルミエ・プリ(1等賞)を得て首席で卒業。「ニールセン国際音楽コンクール」「ジャン・ピエール・ランパル国際フルート・コンクール」「ジャン・フランセ国際音楽コンクール」などで次々と受賞し、世界各国にその名を轟かせる。現在はソリストとしてはもちろん、指導者や審査員、編曲者としても活躍し、CD録音も多数。自ら立ち上げた秋吉台ミュージックアカデミーでは音楽監督を務める。2004年福岡県文化賞受賞。