#7 画家 八坂 圭 (やさか けい)
絵画や美術は昔から好きで、幼稚園の卒業アルバムには「大きくなったら絵描きさんになりたい」と書いていたほど。しかし絵を描くのは好きでも、特段上手だったわけではないんです。小学生くらいになると、漫画やアニメのキャラクターを上手に描ける子が「うまい」って褒められるでしょう?私はそういうのは全然書けなくて。「絵が好き」と何度言っても、「圭ちゃんは絵がうまいね」なんて言葉を掛けられることは皆無でした(笑)。
それでも絵を描いているときだけは幸せで、いつも穏やかな気持ちになれるんです。中学生になり、地元の公立中学に進みましたが、時代は校内暴力や学校崩壊などが社会問題化していた1980年代。ご多分に漏れず、私の学校も荒れていました。その校内で不良たちも一目置いていた、迫力ある存在だったのが美術教師の山田依子先生。九州の独立展で活躍する女流画家でもあった先生ですが、その先生が授業中に私の静物画を見て、みんなの前で大声でこう言ったんです。「あんたは一生懸命絵ば書きんしゃい。あんたにはその力がある」。びっくりすると同時に、生まれて初めて自分の絵を心から理解してくれる人に出逢えたことに感動しました。それまでうまいなんて、言われたことなかったですから。自分が自信を持つ大きなきっかけとなりました。
そのころから、絵を生業にしたいと思っていましたが、両親、特に父親には大反対されましたね。画家なんて食べていける仕事じゃない、普通の大学に進んで選択肢を残しておけと。親になった今では、当時の父の気持ちもよくわかるのですが、当時は毎日喧嘩ばかりしていました。高校在学中に美術の専門予備校に平行して通い、大学は東京の美大へ。その二つの専門性の高い学校で出逢ったのはあらゆる意味で、常識を突き抜けた人ばかりでした。芸術を極める人はやはり特殊な人が多いんですよ。環境的にも才能的にも。そこそこの中流家庭に育って、強烈な個性もない自分がものすごくカッコ悪く思えて、悩んだ時期もありました。しかも家庭崩壊寸前まで父親とけんかして、親に多額の学費を払わせたあげく、油絵を専門にする美大生には就職も恵まれていない。美大で学ぶ周りの人たちは「就職」なんていう俗物的な欲はなく、貧乏を強いられてもそれを糧にして、より哲学的で難解な作品に向き合っていくなんて考えているのです。父が非難する理由も少しわかるな、と思いましたね。そんな風に悶々としていた時期に出逢ったのが、パプアニューギニアの原始美術です。美大ではデザイン科や油絵科などそれぞれが専門性に縄張り意識を持っていましたが、原始美術はそれらを超越した存在でした。絵画そのものにパワーが宿っている。この絵は鳥の女神だよ、と説明されても「どこが?」と思うものの、なぜか圧倒的な説得力があるんです。これこそが私が小さいころから感じていた美術の力だと思いました。うまい絵を描くのではなく、自然界のエネルギーやパワーを形として落とし込む絵を描きたい。それが私が「一生絵を描き続けたい」と願い続けた原動力なのです。
だから「いつか値が上がるから」なんていう理由で選ばれる作品ではなく、「この絵を見ていると元気になれるから」「パワーがもらえるから」と絵を前にした人がポジティブになれる力を宿した作品を描き続けたいと思っています。
それでも絵を描いているときだけは幸せで、いつも穏やかな気持ちになれるんです。中学生になり、地元の公立中学に進みましたが、時代は校内暴力や学校崩壊などが社会問題化していた1980年代。ご多分に漏れず、私の学校も荒れていました。その校内で不良たちも一目置いていた、迫力ある存在だったのが美術教師の山田依子先生。九州の独立展で活躍する女流画家でもあった先生ですが、その先生が授業中に私の静物画を見て、みんなの前で大声でこう言ったんです。「あんたは一生懸命絵ば書きんしゃい。あんたにはその力がある」。びっくりすると同時に、生まれて初めて自分の絵を心から理解してくれる人に出逢えたことに感動しました。それまでうまいなんて、言われたことなかったですから。自分が自信を持つ大きなきっかけとなりました。
そのころから、絵を生業にしたいと思っていましたが、両親、特に父親には大反対されましたね。画家なんて食べていける仕事じゃない、普通の大学に進んで選択肢を残しておけと。親になった今では、当時の父の気持ちもよくわかるのですが、当時は毎日喧嘩ばかりしていました。高校在学中に美術の専門予備校に平行して通い、大学は東京の美大へ。その二つの専門性の高い学校で出逢ったのはあらゆる意味で、常識を突き抜けた人ばかりでした。芸術を極める人はやはり特殊な人が多いんですよ。環境的にも才能的にも。そこそこの中流家庭に育って、強烈な個性もない自分がものすごくカッコ悪く思えて、悩んだ時期もありました。しかも家庭崩壊寸前まで父親とけんかして、親に多額の学費を払わせたあげく、油絵を専門にする美大生には就職も恵まれていない。美大で学ぶ周りの人たちは「就職」なんていう俗物的な欲はなく、貧乏を強いられてもそれを糧にして、より哲学的で難解な作品に向き合っていくなんて考えているのです。父が非難する理由も少しわかるな、と思いましたね。そんな風に悶々としていた時期に出逢ったのが、パプアニューギニアの原始美術です。美大ではデザイン科や油絵科などそれぞれが専門性に縄張り意識を持っていましたが、原始美術はそれらを超越した存在でした。絵画そのものにパワーが宿っている。この絵は鳥の女神だよ、と説明されても「どこが?」と思うものの、なぜか圧倒的な説得力があるんです。これこそが私が小さいころから感じていた美術の力だと思いました。うまい絵を描くのではなく、自然界のエネルギーやパワーを形として落とし込む絵を描きたい。それが私が「一生絵を描き続けたい」と願い続けた原動力なのです。
だから「いつか値が上がるから」なんていう理由で選ばれる作品ではなく、「この絵を見ていると元気になれるから」「パワーがもらえるから」と絵を前にした人がポジティブになれる力を宿した作品を描き続けたいと思っています。
(文・上田瑞穂)
プロフィール
1974年福岡県福岡市生まれ。99年多摩美術大学大学院卒業後、パプアニューギニアのゴロカ大学へ留学。帰国後は東京や福岡を中心に個展を開き、積極的に活動。ベルギーや台湾、シンガポールなど海外の展覧会への出品も多く、マレーシアで行われた「ササラン国際美術祭」に招聘されるなど国内外で活躍している。地元誌「月刊はかた」の表紙絵を2010年より担当。