#9 黒龍舞術団団長 髙取 優耶 (たかとり ゆうや)
15歳の時に市民会館で行われていた京劇の公演を見に行ったのが、この世界との出会いです。それまで習い事も続かず、何にも強い興味を持てない子どもだったのですが、人生で初めて強い衝撃を受けました。圧倒的な迫力、目を見張るパフォーマンス、そして熱気。たちまち魅了され、すぐに生まれて初めてのアルバイトを始めました。どうしても本場で見てみたいという衝動にかられたのです。
翌年の高校2年生の夏。念願の北京の地に降り立ちました。といっても、すぐに京劇に出会えたのではなく、まずは語学学校に入学。語学を学ぶ傍らで、学校が終わると手作りの名刺のようなものを持って街に繰り出し、会う人会う人に「京劇を学びたい」と言って周りました。なんのコネもツテもない私には、そうして人と出会うことが唯一京劇と繋がる手段だと思ったのです。
一週間くらいしたころでしょうか。毎日にように話しかけていた姿が目立っていたのか、ある日街でちょうど京劇のチケットがあるよと譲り受けたのです。演目は、15歳のときに私が感銘を受けた西遊記。手繰り寄せた縁に感謝しつつ、最前列で食い入るように観ました。公演が終了してからも興奮が冷めやらず、その場で放心状態だった私に気付いたのでしょう。劇団のスタッフの方がそんなに興味があるのならば、とのちの師匠となる先生を紹介してくれたのです。それは北京京劇院の国家一級俳優の方でした。
それから帰国するまでの2ヶ月あまり、みっちりと指導を受けました。自分たちの伝統芸能に外国人が興味を持つというのが、先生も嬉しかったのかもしれません。暑い中、来る日も来る日も基礎から教えてもらい、とにかく早く習得したい気持ちで食らいついたのを覚えています。
すっかり魅了された私は、帰国後には高校で同好会を作り、文化祭や地元のイベントで披露するようになりました。北京から持ち帰った中国獅子舞などを用いて、呼ばれればどこへでも積極的に赴きました。夢中になって楽しんでいましたが、まだそのころにはこれが仕事になるとは思っていませんでした。どんなに必死で修業をして技術を習得しても、どこからお金をもらえるプロになるのかの線引きがわからなかったのです。同好会からプロになるまでの経緯が一番戸惑い、苦労したように思います。
これに人生を賭けると決めてからの迷いはありませんでした。長崎に元・中国の国立雑技団の団長がいると聞けば、その方に椅子の倒立芸を学びに行きました。一日10時間ほどの練習を毎日するのですが、全く苦に感じたことはありません。一つでも多くの技術を学びたい、幅広い演目を自分の手で行いたいという欲のほうが大きかったのでしょう。
芸歴10年となりましたが、まだまだ技術の研鑽は道半ばです。ただ、最近ではパフォーマーとしてのみならず、多くの演者たちと一緒に舞台を作り上げるための演出の仕事も多くなってきたので、さらに世界が広がってきています。京劇は中国の歴史ある伝統芸能ですが、日本人である私が演じる理由も見出したい。国の枠を飛び越えて、自分だから作れる自分だけの新たな芸を作り出すのが夢です。京劇の持つ温故知新の良さを自分なりに解釈して、新しい文化を創り出していきたいですね。
翌年の高校2年生の夏。念願の北京の地に降り立ちました。といっても、すぐに京劇に出会えたのではなく、まずは語学学校に入学。語学を学ぶ傍らで、学校が終わると手作りの名刺のようなものを持って街に繰り出し、会う人会う人に「京劇を学びたい」と言って周りました。なんのコネもツテもない私には、そうして人と出会うことが唯一京劇と繋がる手段だと思ったのです。
一週間くらいしたころでしょうか。毎日にように話しかけていた姿が目立っていたのか、ある日街でちょうど京劇のチケットがあるよと譲り受けたのです。演目は、15歳のときに私が感銘を受けた西遊記。手繰り寄せた縁に感謝しつつ、最前列で食い入るように観ました。公演が終了してからも興奮が冷めやらず、その場で放心状態だった私に気付いたのでしょう。劇団のスタッフの方がそんなに興味があるのならば、とのちの師匠となる先生を紹介してくれたのです。それは北京京劇院の国家一級俳優の方でした。
それから帰国するまでの2ヶ月あまり、みっちりと指導を受けました。自分たちの伝統芸能に外国人が興味を持つというのが、先生も嬉しかったのかもしれません。暑い中、来る日も来る日も基礎から教えてもらい、とにかく早く習得したい気持ちで食らいついたのを覚えています。
すっかり魅了された私は、帰国後には高校で同好会を作り、文化祭や地元のイベントで披露するようになりました。北京から持ち帰った中国獅子舞などを用いて、呼ばれればどこへでも積極的に赴きました。夢中になって楽しんでいましたが、まだそのころにはこれが仕事になるとは思っていませんでした。どんなに必死で修業をして技術を習得しても、どこからお金をもらえるプロになるのかの線引きがわからなかったのです。同好会からプロになるまでの経緯が一番戸惑い、苦労したように思います。
これに人生を賭けると決めてからの迷いはありませんでした。長崎に元・中国の国立雑技団の団長がいると聞けば、その方に椅子の倒立芸を学びに行きました。一日10時間ほどの練習を毎日するのですが、全く苦に感じたことはありません。一つでも多くの技術を学びたい、幅広い演目を自分の手で行いたいという欲のほうが大きかったのでしょう。
芸歴10年となりましたが、まだまだ技術の研鑽は道半ばです。ただ、最近ではパフォーマーとしてのみならず、多くの演者たちと一緒に舞台を作り上げるための演出の仕事も多くなってきたので、さらに世界が広がってきています。京劇は中国の歴史ある伝統芸能ですが、日本人である私が演じる理由も見出したい。国の枠を飛び越えて、自分だから作れる自分だけの新たな芸を作り出すのが夢です。京劇の持つ温故知新の良さを自分なりに解釈して、新しい文化を創り出していきたいですね。
(文・上田瑞穂)
プロフィール
1992年福岡県生まれ。16歳から北京京劇院、北京風雷京劇団の国家一級俳優陣の下で修行。以降、九州を拠点に幻想的なアジア芸術をテーマにした「黒龍舞術団」を結成。雑技、音楽、武術といったさまざまな芸能や演目を独自の演出で構成し、日本各地で公演活動中。