#18 画家 北村 直登(きたむら なおと) - アクロス福岡
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伝えたい文化の魅力 NEO

#18 画家 北村 直登(きたむら なおと)

画家 北村 直登(きたむら なおと)

小学生の頃から図工と体育が好きな子どもでしたね。兄が始めたサッカーに自分ものめりこみ、中学を卒業するとブラジルへ一年間サッカー留学に行きました。そういえばその前に一度、絵画教室に行ったことがあります。親に連れられていったのですが、「鶴を描け」といわれて描いたら、「この鶴は後ろに倒れそうだ」と言われて、初日に教室を辞めました。面白くないことを言う先生だなと思って(笑)。
ブラジル留学後は親元を離れ、大分の高校・大学に進学しました。しかしそのころには、サッカーを一生の仕事にはできないことにも気づき始めていて。努力を積み重ねることは好きだったのですが、時間的制限、つまり年齢のピークがあるものに対して、それまでの自分の人生の大半を費やしてきたことに気付いたときは愕然としましたね。一生をかけられる何かに出会いたい、そう思いながらもそれからしばらくはサッカーの穴を埋められるものがなく、ひたすら焦っていました。
模索していたある時、東京の表参道の路上で描いた絵を売っている人を見て、小さい頃から絵が好きだったことを思い出しました。これなら年齢制限もなく、一生できるんじゃないかと、自分もやってみようと思い立ちました。すでに大学は卒業していたので、アルバイトをしながら片手間に絵を描いて、大分の路上で販売を始めた。すると結構売れるんです。ファッション誌などに触発されたそこそこおしゃれな絵を描くと、思いのほか売れていく。味を占めかけていたとき、いつも千円だけくれて絵を持って帰らない女性がいることに気付きました。来るたびに千円を置いて行ってくれるんですが「持って行ってください」と言っても「いいよいいよ、頑張ってるんだから」と絵を受け取らない。単純な親切心だったのかもしれませんが、その時に「もしかして俺は絵を売っているのではなく、同情を売っているのかも。哀れまれているのかも」と思ってしまって。それからしばらくは絵を描くことができなくなりました。安直な気持ちで描き始めたツケが、ようやく回ってきたのでしょう。そうして貯金も底をつき、家賃が払えなくなって親に仕送りを泣き付いたら、あっさりと断られました。その瞬間、そんな甘えた覚悟で生きていた自分に腹が立って。よし、これからはバイトもせず絵だけで食べて行こうと奮い立ちました。それができなくなったときは潔く絵もやめようと。その日から今日まで、絵だけで生計を立てています。作品だけで食べていける画家って、画家を名乗る人の1%にも満たないそうです。その末席でもいいので、そこに居続けたいですね。
職業としての画家を選んだ私が描くのは、「この時代に生きる人が求める絵」。つまり、時代に受け入れられる、ニーズのある絵です。自分の欲求を作品で満たそうなんて考えはなく、後世に酷評を受けようが、現在喜ばれる絵を描きたいと思っています。社会に迎合しているなんて言われることもありますが、欲しいと思ってもらえる絵を描けるのは幸せなこと。だからアート論などを語ることもないし、書いた作品へのメッセージも自分からは話さない。作品は作家ではなく、受け取った人のものだと思っています。

(文・上田瑞穂)

プロフィール 1979年福岡県春日市生まれ。1995年にブラジルへサッカー留学、帰国後は大分の高校へ復学、そのまま現在に至るまで大分市在住。大分県を中心としながら、首都圏での展示会や催事も多い。福岡市動物園のポスターのメインビジュアルを担当したり、人気ドラマで作品がキーとなり話題になるなど、幅広く活躍している。