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#20 截金作家 江里 朋子(えり ともこ)

截金作家 江里 朋子(えり ともこ)

父は仏師、母はのちに人間国宝となる截金(きりかね)師という家庭で育ちました。截金とは、もともとは仏像や仏画に施されてきた仏教美術。母は刺繍師の家に生まれたのですが、父のもとに嫁ぎ、截金の世界と出会ったと聞きました。その後、仏像のみならず欄間や茶道具など日常の中にも截金の装飾を取り入れ、工芸品へと広めていった一人です。母は亡くなる5年前、57歳のときに重要無形文化財保持者に認定されましたが、截金師としては日本で3人目の人間国宝でした。他の2名の先生方と同じように、截金の技術を日本に遺し、後世に繋ごうと努力していたようです。
と言いつつも、私は最初から母と同じ道を選ぶつもりはなかったんです。自分には無理だと思い、思春期にはあえて避けていたところもありました。しかし大学で日本画を学んでいたときに、截金と共通する部分を感じ、彩色など母を手伝うようになりました。手伝ううちに少しずつできないと思っていたことができるようになり、次第に面白くなってのめりこむように。卒業するころには、自ら母に教えを請うまでに夢中になっていました。
截金とは、数枚焼き合わせた金箔を竹刀で極細の線状に切り、それらを筆先で張りながら文様を描き出すという、独特の技術を要する伝統工芸。大陸から仏教の伝来とともに技法が日本に伝えられました。母は13年前に仏教美術の研究者と一緒に欧州まで行き、紀元前3世紀のアレクサンダー王のサンドイッチガラスの器に施された金細工が、截金の技術で作られていたという確認をしました。それまで現存する世界最古の截金作品は6世紀頃の韓国のものと思われていたので、大きく歴史が覆りました。そのように千年以上も前から愛されてきた工芸であるにもかかわらず、現在その技術者は日本にしか残っていないと言われています。日本でも截金が隆盛を極めたのは鎌倉時代の快慶の頃。その後、仏教文化の凋落とともに衰退したのですが、徐々にまたその普遍的な美しさに光があたり、今また復活しつつあります。
奈良時代や飛鳥時代のものが時を超えて未だ遺されたものを見ると、その高い精神性を感じます。自分も何百年先の人に見られても恥ずかしくないものを作らなくてはというプレッシャーはありますね。人の一生は短いですが、作品は未来永劫残る。千年前の作品に、今の自分の志は追い付いているのか、考えれば考えるほどまだまだだと思わされることが多いです。截金という世界を多くの方に知っていただき、その価値や技術を後世に繋いでいくこと、今はそれが母からバトンを受け取った私の使命と考えています。

(文・上田瑞穂)

プロフィール 1972年仏師 江里康慧と重要無形文化財「截金」保持者江里佐代子の長女として京都で生まれる。2001年夫の郷里である福岡に移り、福岡で制作開始。2010年「料亭嵯峨野」の截金鳳凰文様欄間完成。2011年日本伝統工芸展新人賞を皮切りに、受賞多数。2019年西部伝統工芸展では朝日新聞大賞受賞。