#25 デザイナー 天本 誠司(あまもと せいじ) - アクロス福岡
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伝えたい文化の魅力 NEO

#25 デザイナー 天本 誠司(あまもと せいじ)

デザイナー 天本 誠司(あまもと せいじ)

2008年に独立、2010年にアトリエを構えたので、それからもう10年近くになるんですね。早いなぁ。本当にあっという間でした。
高校時代まではサッカーに没頭していて、プロサッカー選手を目指して日々打ち込んでいました。しかし卒業前に挫折し、大学に進学したころは自分の将来像が見えずに何をしたらいいのか、漠然とした不安を抱えていました。そんな中途半端な気持ちで4年間を過ごして迎えた就職活動。当時は氷河期と言われていたのに加えて、自分に誇れるものもなく、50社くらい落ちたんじゃないかな。もう真っ暗でしたね。自分は誰にも必要とされていない人間なのか、社会に居場所はないのでは、と本気で落ち込みました。
ただその時に思ったんです。適当に就職するのではなく、ちゃんと技術を身に着けて、一生できる仕事を見つけようと。安直に就活をし続けた自分を反省して、きちんと手に職をつけようと思い直しました。そして、サッカーの次に好きだったファッションの仕事に就きたいと、専門学校に進むことを決めました。一生続けるには、好きなものじゃないと続かないと自分なりに未来を定めたんです。
専門学校で基礎を学び、在学中にはいくつかの賞もいただき、その後服飾メーカーに入社しました。当時すでにファストファッションが流行りだしていて、衣類は大量生産・大量消費の時代に入りつつあったのですが、自分がしたいことがそれではないことはわかっていた。流行だけを追って、「似合う」や「好き」を置いてけぼりにするような服を作りたいとは思っていませんでした。就職したメーカーではファッションビジネスの仕組みを学ばせていただきましたが、自分はデザインからパターン、裁断、縫製、仕上げまですべて一貫して一人で完結できるスタイルを目指していたので、分業で作り続ける製法は何か違うなと感じていました。服って、いくら丁寧に作っても作った本人がその想いを伝えないと届かないものなんです。型崩れのしにくさや着心地などは着ているだけでわかるかもしれないけど、どうしてこの生地を使ったのか、パターンにどういう工夫を施しているかは手掛けた自分が伝えていきたい。その想いが強まって、30歳の時に独立しました。
独立してからは試行錯誤の連続でしたね。最初は欧州から生地を取り寄せたりしていましたが、それではこの巨大市場で戦えない。唯一無二の、自分の得意分野を生かしたものを作るにはどうしたらいいのか。まずたどり着いたのは、日本のデニム地の品質の良さです。カジュアル素材と思われがちですが、日本のデニムにはフォーマルに適した非常に高品質のものがあるんです。これをクチュール素材として扱い、絶対的に人に負けない自信があったパターンの技術を発揮し、縫い方もフォーマルに徹することにしました。そうして作っているときに気づいたんです。インディゴの藍は和服との相性がいいことに。もともと絣など藍染めと相性がいいわけですから当然です。それならせっかく福岡からブランドを発信するのだから、博多織を取り入れたスタイルにしようと思いました。その結果、現在好評をいただいているデニムに博多織を取り入れたシリーズが生まれたのです。
福岡に拠点を置いて発信できていることに、デザイナーとしての誇りを感じています。私は大量消費の服の生産者になりたくないのに加えて、独りよがりのアーティストにもなりたいとは思わない。お客様が今、欲しいと思えるものを一緒に作っていく職人であり続けたいと思っています。

(文・上田瑞穂)

プロフィール 大学卒業後、香蘭ファッションデザイン専門学校で服作りの基礎を学ぶ。卒業後、アパレルメーカーにデザイナー・パタンナーとして就職。装苑賞入賞、国際ファッションデザインコンテスト特別賞など受賞多数。2008年に独立、自身のブランド「ALL MY LOVING」を立ち上げ、福岡を拠点に東京・大阪・中国・韓国・台湾でデザイナー・パタンナーとして高い評価を得る。知識と技術を生かし、衣装制作や教育の現場でも活躍中。