#38 牛島製茶専務取締役 牛島 啓太(うしじま けいた) - アクロス福岡
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#38 牛島製茶専務取締役 牛島 啓太(うしじま けいた)

牛島製茶専務取締役 牛島 啓太(うしじま けいた)

1921年創業の弊社は、今年100周年を迎えます。4代目の私から見た曾祖父、定次郎が創業者。彼が茶農家として始めた家業が、一世紀を経た今もなお続いていることに感謝の気持ちとたすきの重さを感じています。
幼少期の記憶をたどると、父と祖父がお茶摘みをする茶畑の横で遊んでいましたね。中学生になると、GWは新茶の時期で忙しいからと部活を休んだり。初夏には毎年夜間まで工場が稼働しており、家族総出で新茶の出来を喜んでいたりしたので、そのころから当たり前のように「継ぐ」意識はありました。
大学を卒業後、静岡の製茶会社での修行を経て、25歳のときに帰郷。その時に4代目として、自分には何ができるのかを考えました。初代定次郎は当然創業者としてのパワーに溢れていた一方で、職人肌で茶の栽培生産を研究した人。そして2代目、私の祖父英次は販路を一気に広げたいわば営業マン、開拓者です。現在も稼働している第一工場を設立し、「家業」を少しずつ「会社」にしていきました。さらに3代目である私の父敏博は、私と同じく大学卒業後に静岡に修行に行くのですが、そこで「深蒸し茶」という製法を学んできました。今から40年以上前のことです。当時、深蒸しは色も味も非常に濃く出るため、関東など水質に恵まれていない地域で好まれていた製法でした。美味しい水資源がある八女で、なぜ深蒸し茶を作るのか?と問屋から批判を受けましたが、父はこれからの世の中で必ず色と味が濃いお茶が好まれる時代がくると先を読み、周囲の大反対を押して深蒸し茶を推し進めました。これにより茶問屋がまったく扱ってくれなくなったため、自分たちで売るしかなく、小売店も開業。最初は全く売れなくて、死活問題だったと当時を知る母親が笑って話してくれました。父も初代と同じく、職人肌なんでしょう。いつか絶対お客さまがわかってくれるはずだと、信念を曲げずに深蒸し茶を作り続けました。そして私が入社。職人→営業→職人と続いている系譜ですが、それに倣うと私は「営業」の番。まず着手したのは時代に合った販路の開拓で、八女茶カフェとオンライン通販を始めました。ただ、これも苦戦しましたね。まず八女茶カフェは、世の中に抹茶ブームが起こる2年前くらいにオープンしたので、最初は全く注目されなかったんです。そしてオンライン通販も「お茶を買う主力層はネットを使わない世代。誰がインターネットでお茶を買うか」と随分反対されました。しかし抹茶スイーツブームとともにカフェは軌道に乗りはじめ、そして昨年からのコロナ禍でオンライン通販の売上が非常に伸び、実店舗が大苦戦する中、当社を支えてくれる存在になりました。私も父も、世の時流からいつも少し早すぎるんですよね。結果、勝てているかわかりませんが、先手必勝が大事だと思っています(笑)。
「継ぐのは楽でいいね」と言われることがありますが、初代よりむしろ継承者のほうが大変かもしれません。継ぐだけでは生き残れず、代を重ねるごとに強くしなやかに新しいチャレンジが必要だと思います。百年企業ですが、老舗と呼ばれるのではなく、常に挑戦者であり続けたい。一世紀を経た今、またまっさらな気持ちで一から挑戦したいと思っています。

(文・上田瑞穂)

プロフィール 1980年、福岡県八女市生まれ。100年続く牛島製茶の4代目。お茶ソムリエ、日本茶インストラクターの資格を取得し、八女茶カフェ「和café leaf Heart」を作るなど積極的に八女茶を広めている。「日本茶アワード2017」にて深蒸し煎茶部門で「定庵こうき」がプラチナ賞を受賞。