#40 陶芸家 高取 周一郎(たかとり しゅういちろう)
物心がついたころから陶器は生活の一部で、登り窯の中で遊んでは怒られるような毎日でした。遊んでいる視線の先では祖父や父がろくろを回していたり、窯で火がガンガン燃やされているのを眺めながら育ったので、陶芸家になる将来は漠然と予想していましたね。ただ、両親から跡を継ぐよう言われたことは一度もないんです。大学進学の際にも、好きな道を選べと言ってもらえたので、興味を持っていた建築科に進みました。卒業後も建築業に従事し、延べ8年間を東京で過ごしました。山の中で育ったからか、大きな建物に憧れがあったのかもしれません(笑)。今思うと、大きなものづくりを経験することができ、東京で学んだ8年間は自分の成長にとってはとても有意義な時間だったと思います。でもやはり、時間に追われ、歯車のように働くスタイルが自分には合っていない気がして、故郷に戻り窯に入ることを選びました。小さいころから眺めていた祖父や父の姿に、ぼんやりとした憧れがあったんでしょうね。しかし実際に窯の仕事を始めてみると、想像以上に大変でした。子どもの目に映っていたのは、かっこいい部分ばかり。実際には、花形の「ろくろを回す」作業の前に、土や釉薬を作るといった地味で体力のいる大仕事がたくさんあるんです。どの仕事でも同じだと思いますが、見えないところの努力の大きさを、あらためて認識させられました。もう一つ、戻ってきて感じたのは東京との仕事の仕方の違い。とにかく時間に追われ、目の前の仕事をこなすのに精いっぱいだった東京と比べると、自分の時間がたっぷりとあるんです。逆にいうと、自分から考えて自発的に行動しないと、何も成長ができない。最初は与えられるタスクがないことに焦り、時間の使い方に不安を覚えたりもしました。しかしこの恵まれた環境を生かそう、自分から積極的に学ぼうと考え方を変えました。それまでは好きなもの、作りたいものを自由に作陶していましたが、400年の歴史をもう一度学び直すことにしました。自分自身が歴史をつなぐ立場なんだと自覚してからは、過去を学び、伝統を理解することが重要だと思ったんです。「高取焼」は、小堀遠州の指導を受けた「遠州七窯」の一つとされる茶陶の窯。その歴史は戦国時代まで遡ります。直方で発祥し移窯を繰り返しながら現在に至り、その流れを汲む窯元は県内に14、15窯点在しています。その窯元たちが一緒に高取焼を盛り上げていくことも必要なのではないかと、最近では同世代の窯元仲間で集まって勉強会などを行っています。これまでは、各窯元がそれぞれに独自で高取焼に取り組んできましたが、ともに手を取り合うことこそ、高取焼の未来につながると思っています。86歳の祖父をはじめとした先達たちから、若い世代までが交流することで、貴重でかけがえのないものが得られる。そうでなくても、後継者不足は伝統工芸共通の悩みでしょう?私たち若い世代が力を合わせて業界を盛り上げ、新たな市場を担っていかなくては。一人より二人、二人より三人のほうが発信力も高まる。そうして次は自分たちの子どもたちが、私がそうであったように、親の仕事に憧れて、何も言わずとも継ぎたいと思える環境を残していきたい。他の土地の高取焼の皆さんとも、同じ地域で頑張る小石原焼の皆さんとも協力しあって、大きな輪を作っていきたいと思っています。
(文・上田瑞穂)
プロフィール
1987年、福岡県朝倉郡東峰村生まれ。400年以上続く高取焼の技術を継承する高取八仙窯で、祖父である十三代高取八仙、父である十四代八之丞不忍の下で作陶中。茶陶の伝統技法を学びながら高い技術力を生かし、現代の生活に合う器づくりにも意欲を燃やす。