明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域 <2> (官営八幡製鐵所(1)) - 目指せ!世界遺産 - アクロス福岡
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目指せ!世界遺産

明治日本の産業革命遺産
九州・山口と関連地域 <2>
(官営八幡製鐵所(1))

旧本事務所
▲現在も建設当時の場所に立つ旧本事務所

日本の重工業化を切り拓いた「官営八幡製鐵所」

明治維新後、政府によって「殖産興業」の政策が進められ、日本の産業革命の進展と共に鉄道敷設や造船など鉄鋼への需要が急増しました。それまで輸入に頼っていた鋼鉄の国内生産を目指し、官営製鉄所の建設が決定。当時、国内最大の石炭産出量を誇った筑豊炭田に隣接していたことや、海陸の輸送に便利であったことなどから、福岡県遠賀郡八幡村(現・北九州市八幡東区)がその建設地に選ばれました。そして1901(明治34)年に製鐵所(通称:官営八幡製鐵所)の操業が開始されました。「国の威信をかけた、まさに国家の一大プロジェクトでした」と、北九州市・世界遺産登録推進室長の井上保之さんは語ります。スタート直後、相次ぐ設備トラブルや財政難に見舞われますが、それらを克服し1910(明治43)年には経営的な黒字化を達成。その後、国内鋼材生産量の大半を賄うまでに成長し、日本の重工業を主導しました。

製鐵所の中枢を担った「旧本事務所」

官営八幡製鐵所を構成する施設で最も古い歴史を持つのが旧本事務所で、製鐵所創業2年前の1899(明治32)年に建設されました。中央にドームがある左右対称形の赤煉瓦建造物で、「屋根は和瓦ですが煉瓦積みはイギリス式。日本と西欧の建築スタイルが入り交じっているのが面白いですね」と前出の井上さん。長官室や外国人顧問技師室、技監室などがあり、製鐵所の中枢の本事務所として使用されていました。1922(大正11)年、規模拡大に伴い八幡東区枝光に新事務所が完成した後は、鉄鋼の研究所などとして利用されました。 官営八幡製鐵所旧本事務所は、日本の産業を支え、急激な近代化を成し遂げた証拠のひとつとして、現在も建設当時の美しい姿をとどめています。

次回は、「官営八幡製鐵所修繕工場」「旧鍛冶工場」「遠賀川水源地ポンプ室」などについて紹介します。

  • 官営八幡製鐵所旧本事務所
    福岡県北九州市八幡東区大字尾倉 ほか
    お問い合わせ
    093-582-2922
    (北九州市総務企画局世界遺産登録推進室)
    ※非公開施設であるため、敷地内に立ち入ることはできません
  • 立ち寄りスポット
    東田第一高炉史跡広場
    東田第一高炉史跡広場
    1901(明治34)年2月5日に、八幡製鐵所で最初に火入れされた東田第一高炉。その後改修を繰り返し、現在の高炉は、1972(昭和47)年に休止した第10次改修高炉を保存整備したもので、1996(平成8)年に北九州市の指定文化財(史跡)に指定された。広場内では高炉の歴史や作業風景などをパネルやジオラマなどで紹介。
    住所:北九州市八幡東区東田2-3-12 営業時間:9:00~17:00
    休み:年末年始 料金:無料
    お問合わせ:093-582-2389
    (北九州市市民文化スポーツ局文化振興課)
    アクセス:JR鹿児島本線「スペースワールド駅」より徒歩5分
旧本事務所
▲旧本事務所
熊本大学五高記念館(旧第五高等学校本館)を手がけた建築家・山口半六が設計に関与したという説がある
1912年頃の旧本事務所周辺
▲1912年頃の旧本事務所周辺。
背後には高炉がそびえ立つ。玄関が街ではなく海側にあるのは、当時の主たる輸送手段が船によるものだったことからだと思われる

写真提供:
新日鐵住金株式会社
八幡製鐵所