明治日本の産業革命遺産
九州・山口と関連地域 <5>
(三池炭鉱・三池港②)
一連の炭鉱産業景観を残す貴重な関連施設
積極的な洋式採炭技術の導入によって国内一の出炭量を誇り、明治日本の近代工業化を支えた三池炭鉱。去る10月2日、ユネスコの諮問機関ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)の調査員が大牟田市や荒尾市などを訪れ、関連施設の調査を行いました。評価結果は2015年5月頃にユネスコへ勧告されます。三池炭鉱・三池港の関連施設は、「宮原坑」「万田坑」「専用鉄道敷跡」「三池港」。これらの施設は良好な状態で現存、もしくは稼働しており、宮原坑や万田坑で採掘された石炭が、専用鉄道で三池港まで輸送され、海外に向けて積み出されるという一連の流れをはっきりと見ることができます。
国内最大の炭鉱を支えた主力坑「宮原坑」
889(明治22)年、三池炭鉱は明治政府から旧三井物産に払い下げられました。官営時代の七浦坑などの主力坑の排水難を解消するため、1895(明治28)年に着工されたのが「宮原坑」です。第一竪坑は石炭を坑外に運び出す揚炭作業や排水など、第二竪坑は人員昇降などに使用されました。各竪坑には、坑内排水のためにデビーポンプと呼ばれるイギリス製のポンプが2台ずつ備えられていました。大牟田市の世界遺産登録・文化財室の坂井義哉さんは、「当時、世界最大級の揚水能力を誇ったデビーポンプの導入によって、より深い場所での採炭が可能になりました。排水を主な目的として造られた『宮原坑』ですが、1908(明治41)年には三池炭鉱のなかで最大の出炭量を誇るようになりました」と目を見張ります。しかし、昭和恐慌により各炭鉱では経営合理化が進められ、さらに1930(昭和5)年に囚人の坑内労働が禁止されると、三池集治監(刑務所)の囚人労働をメインとしていた「宮原坑」は1931(昭和6)年に閉坑しました。
現在、第一竪坑は既に失われていますが、第二竪坑ではデビーポンプ室の壁や国内最古の鋼鉄製の櫓、巻揚機(ウインチ)などが無料公開されており、往年の様子を今に伝えます。
次号では、三池炭鉱のもうひとつの主力坑「万田坑」と、石炭の輸送に利用された「専用鉄道敷跡」について紹介します。
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宮原坑跡に関する問い合わせ先
住所:福岡県大牟田市宮原町1-86-3
見学:建物内部は日曜・祝日の10:00〜17:00のみ公開(無料)
電話:0944-41-2515
(大牟田市企画総務部 世界遺産登録・文化財室)
アクセス:JR「大牟田」駅より西鉄バスに乗り、「早鐘眼鏡橋」で下車。徒歩10分
▲2 第二竪坑の排水管。直径45cm。
▲3 巻揚機室内部には、巻揚機が2台設置されている。