明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域 <7> (三池炭鉱・三池港④) - 目指せ!世界遺産 - アクロス福岡
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目指せ!世界遺産

明治日本の産業革命遺産
九州・山口と関連地域 <7>
(三池炭鉱・三池港④)

三池港
▲当時、最先端の土木技術と海外の資材が用いられた三池港。上から防砂堤、内港、閘門、ドック。港の全形はハチ鳥がはばたく形状をしている。

日本一の干満差を克服した大港湾事業

三池炭鉱で採掘された石炭が運ばれる有明海は、干満の差が激しく干潮時には沖合数kmにわたり干潟が現れます。このため大型船の近接が難しく、1908(明治41)年に「三池港」が完成するまで、石炭は大牟田川の河口から艀でひいた小型船で、対岸の口之津(長崎県南島原市)までの約70kmを海上運送し、そこから大型船に積み替えていました。この非効率を解消するため、かねてから大牟田に港の必要性を感じていた三池炭礦社の事務長・團 琢磨は、1898(明治31)年にイギリスのニューキャッスルやリバプールなどで港湾施設や積込方式を視察後、1902(明治35)年、三池港の築港に着手しました。三池港の特徴は、長大な防砂堤や潮待ちのための内港を持ち、ドック内の水位を干潮時でも8.5m以上に保つために閘門(水門)が設けられている点です。これによって1万トン級の大型船舶への直接の荷役が可能になり、港まで延長された炭鉱専用鉄道と一体となって、坑口〜鉄道〜港の一貫した石炭運搬が実現しました。

團琢磨の百年の計

三池港の工事費は約376万円(現在の価値で約410億円)と三井の社運をかけた大事業でした。しかし團琢磨は、輸送コストなど経費削減効果が年間約80万円程度出ると試算。実際に工事費を約7年で償却したといわれています。築港に際して團琢磨は「石炭山の永久などということはありはせぬ。無くなるとまた野になってしまう。築港をやれば、そこにまた産業を起こすことができる。築港をしておけば百年の基礎になる」と述べています。その予言通り「三池港」は100年経ったいまも現役で稼働し、当時の姿のまま地域の産業と流通を支え続けています。

これまで7回にわたりお届けしてきた「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。その世界遺産登録の可否は、今年の6月28日から7月8日まで、ドイツのボンで開催されるユネスコの第39回世界遺産委員会で決定します。その日をみんなで期待しましょう。

「目指せ!世界遺産」は、今回で終了いたします。次号からは新シリーズをお届けいたします。

  • 三池炭鉱・三池港に関する問い合わせ先
    電話:0944-41-2515
    (大牟田市企画総務部 世界遺産登録・文化財室)
  • 立ち寄りスポット
    大牟田市石炭産業科学館
    大牟田市石炭産業科学館
    炭鉱のまちとして栄えた大牟田の歴史や炭鉱技術の歩みなどを紹介する科学館。ダイナミックトンネルでは、坑内で使われた電気機関車や採炭用カッターなどを、音声ガイド付きで展示紹介する。
    住所:大牟田市岬町6番地23 営業時間:9:30〜17:00
    休み:月曜日(祝日の場合は翌日) 料金:大人410円、子供200円
    お問合わせ:0944-53-2377
    アクセス:西鉄バス「帝京大学福岡キャンパス」停より徒歩3分
完成間近の閘門
▲2 完成間近の閘門。扉はイギリス製。扉が隣接する部分には、水漏れ防止のために南米から取り寄せた「グリーンハート」と呼ばれる水に強く、堅くて重い木材を使用。最大幅18.5mの船舶の通過が可能。(閘門の見学はできません。渡船場前の駐車場などからご覧ください。)
完成した閘門を通過する汽船
▲3 完成した閘門を通過する汽船。