#8 ナポレオン戦争 ♪ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」 - アクロス福岡
Language 検索
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • Twitter

歴史を彩った名曲たち

#8 ナポレオン戦争
♪ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」

メインイメージ

ベートーヴェンの交響曲第3番のタイトル「英雄」とは、ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)を指す。ベートーヴェンは民衆の英雄として彼を賛美していた。聴力を失い、自殺すら考えた彼にとって、ナポレオンは勇気を与える存在であったにちがいない。彼は、ナポレオンに共鳴してこの曲を手掛け、自筆譜に残されたタイトルも、本来は「ボナパルト」(ナポレオンの名前)であった。ところが1804年5月、ナポレオンが皇帝ナポレオン1世として即位したことを知ると、ベートーヴェンは怒りをあらわにし、ナポレオンへの献辞を抹消し、初版譜には改めて「シンフォニア・エロイカ(イタリア語で「英雄交響曲」)」と「ある英雄の思い出のために」という言葉が表紙に記された。この作品の自筆譜には「ボナパルト」という名前を削り取った跡が残っている。
ベートーヴェンの人生ではナポレオンは大きな存在であった。オペラ《フィデリオ》が1805年に初演された折は、折しもナポレオン軍がウィーンを占領したときに当たり、会場はフランス軍の兵士で埋め尽くされていた。そして1809年、ナポレオンの弟のジェロームがドイツのヴェストファーレン王国の国王に就任すると、ベートーヴェンを宮廷楽長として招聘し、ベートーヴェンは受諾している。しかし、ルドルフ大公やウィーンの貴族たちの説得で彼はウィーンにとどまることになる。
ナポレオン戦争はますます激化し、ふたたびウィーンは侵攻される。ウィーン包囲に先立ってオーストリアの王族や貴族はウィーンを離れる。音楽愛好家で弟子でもあったパトロンのルドルフ大公もウィーンから疎開する。大公との離別と再会までを表現したのがピアノ・ソナタ「告別」(作品81a)である。そして交響曲第7番は、ナポレオンの戦争のさなかの1813年12月8日、ハーナウ戦役傷病兵のための救援資金調達慈善演奏会で初演され、この作品もナポレオン戦争と深い結びつきを持っている。

ルドルフ大公
ルドルフ大公
西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。