#11 普墺(ふおう)戦争とオーストリア世紀末の始まり ♪ヨハン・シュトラウス二世/美しく青きドナウ - アクロス福岡
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歴史を彩った名曲たち

#11 普墺(ふおう)戦争とオーストリア世紀末の始まり
♪ヨハン・シュトラウス二世/美しく青きドナウ

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19世紀中ごろのドイツ語圏では北のプロイセンと南のオーストリアが二大強国として対峙していた。この二つの国の対立は1740年に始まったオーストリア継承戦争から続いており、つねに緊張関係をはらんでいた。そしてついに両国は1867年に戦火を交える。この戦争は中央ヨーロッパの覇権を確立する上で大きな意味を持つ戦争であった。オーストリアはハノーファー王国、ゼクセン王国、ヴュルテンベルク王国、バイエルン王国などと同盟を結び、強い意気込みをもって戦争に臨んだ。しかし、あっけなくオーストリアはプロイセンに敗北を喫する。この戦争の結果、プロイセンは単独でシュレスヴィヒ・ホルシュタインを領有するとともに、北ドイツ連邦を結成してドイツ連邦の盟主となる。それに対してオーストリアはオーストリア=ハンガリー二重帝国(1867~1918年)を結成してこれに対抗する。このオーストリア=ハンガリー二重帝国は、ハンガリーにこれまでの従属的な関係ではない地位の向上をもたらしたが、旧同盟国のザクセンやハノーファー、バイエルンなどの諸国との関係を失ったオーストリアにはハンガリーとしか同盟を結ぶ余地は残されていなかった。しかしその結果、ヨハン・シュトラウス二世のオペレッタ「ジプシー男爵」にみられるように、ハンガリー文化がウィーンに強い影響をもつようになる。
この戦争に敏感に反応したのがこのヨハン・シュトラウス二世である。戦争が起こると彼は将校のための病院に自宅を提供し、兄弟らとともに慈善演奏会を開催してその収益金を寄付して尽力した。この敗戦がオーストリアに与えた衝撃は大きなものであった。ウィーンを覆う陰鬱な空気を払拭すべく、ウィーン男声合唱協会からの依頼で作曲されたのが《合唱とオーケストラのためのワルツ》で、その後タイトルを改めて《美しく青きドナウ》として親しまれている。この甘くノスタルジックな旋律の背後には、いよいよ世紀末を迎えるウィーンのどこかメランコリックな空気が反映している。

ヨハン・シュトラウス二世
西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。