#12 帝国主義 ♪サリヴァン/オペレッタ「ミカド」 - アクロス福岡
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歴史を彩った名曲たち

#12 帝国主義 ♪サリヴァン/オペレッタ「ミカド」

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19世紀末の欧米は帝国主義の時代に入り、積極的にアジアやアフリカの諸国を植民地化してその覇権を競った。この時期に頻繁に開催された万国博覧会では、それぞれの列強は自国の持つ植民地の文物だけではなく、現地人をも「展示」した。1885年1月から1887年6月までの期間、ロンドンのナイツブリッジで開催された「日本人村」も一種の「展示」で、総勢100名もの日本人がロンドンで生活や職人技などを披露し、ロンドンの人々の博物学的な関心を引いたのである。
このような日本への関心はプッチーニのオペラ「蝶々夫人」やマスカーニのオペラ「イリス」、フランスのシャルル・ルコック作曲のオペレッタ《コシキ》や《茶の花》、アンドレ・メザジェのオペラ「お菊さん」などの作品にも反映されている。
ナイツブリッジでの日本人の衣装や日本の習俗を取り入れて作曲されたのがアーサー・サリヴァン(1842-1900)のオペレッタ「ミカド」である。幕末の日本を舞台としたこの作品だが、ミカド以外のココやヤムヤム、ナンキプーといった登場人物は、ロンドンの聴衆には極東を連想させるとしても日本人の名前ではない。ピティシンという人物はプリティ・シング(かわい娘ちゃん)という英語に由来する。この作品において日本との現実的な関連をもつのは、舞台上で歌われる《トンヤレ節》である。ちょんまげを結い、刀を挿した侍たちが合唱する「ミヤサマ、ミヤサマ、オナマノ、マエニ、ピラピラスルノハ、ナン、ジア、ナ、トコ、トンヤレ、トンヤレ、ナ」の合唱は、このオペラのなかでひときわ強い現実性をもっている。この《トンヤレ節》は、明治維新時の朝敵征伐の錦の御旗を題材にし、明治期に入ってから日本で流行した歌である。ロンドンの観客はこのオペラを通して日本のイメージを作り上げたと言っても過言ではない。
この日本人村の建設を日本の側からみると、そこには日本の国際化と不平等条約の改定という大きな目標があった。しかしイギリスの側からみれば、それは帝国主義による植民地支配のひとこまでしかなかったのかもしれない。

サリヴァン
西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。