#17 ナポレオン戦争 ♪ネルソン・ミサ/ハイドン - アクロス福岡
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歴史を彩った名曲たち

#17 ナポレオン戦争 ♪ネルソン・ミサ/ハイドン

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エステルハージ家の宮廷楽長を退職したハイドンは、1791年、ザロモンの招きによりロンドンに渡り、最初の演奏会シリーズを開催する。この旅行ではハイドンはフランス革命の動乱を避けるためにボンを経由してロンドンに渡るが、その旅行の折に若きベートーヴェンと会っている。そして1792年、ベートーヴェンは帰国したハイドンに師事することになる。その後1794年にハイドンは第2回のロンドン旅行を行う。有名な交響曲「時計」と「太鼓連打」はこの折に初演されている。
2回のロンドン旅行でハイドンは、イギリスの国民的な音楽であるヘンデルのオラトリオを知り、帰国後、オラトリオ「天地創造」や「四季」を作曲する。またロンドン旅行では新型のフォルテピアノからも強い刺激を得ており、それまでとは全く作風の異なるソナタを作曲することになる。同時に彼はイギリスの国民性にも強い共感を得ており、それをよく表現しているのが「ネルソン・ミサ」である。
エステルハージ家の楽長に再就任したハイドンは1796年から1802年までの間に6作のミサ曲を作曲しており、その作曲時期はナポレオン戦争にあたっている。その戦時下の状況は、《戦時のミサ》(通称《パウケンミサ》)にも反映しており、「アニュ・デイ」の楽章でティンパニの独奏が用いられている。《ネルソン・ミサ》も戦時下のミサ曲で、「困窮時のミサ」とも呼ばれ、フランス軍を迎え撃つネルソン提督と結びついている。このネルソン提督は、1805年、トラファルガーの海戦でナポレオン軍を壊滅させたことで知られる。
イギリス訪問でハイドンは、イギリスに強い信頼と共感を抱いており、ナポレオン戦争におけるイギリスの勝利を心から神に祈ったといわれる。1800年9月6日、ネルソン提督は声楽家のハミルトンとともにエステルハージ侯の居城のあるアイゼンシュタットを訪問しており、そのおりハイドンはネルソンと面識をもっていた。壮大かつ盛大な輝かしい作品で、「キリエ」のソプラノ独唱はまさにオペラのコロラトゥーラであり、ティンパニとトランペットの華麗な演奏は戦争の情景をほうふつとさせる。

王妃マリ
西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。