#24 第一次世界大戦 ♪ラヴェル/クープランの墓
第1次世界大戦は、それまでの人類が経験したことのないもっとも悲劇的な世界戦争であった。フランスの作曲家はこぞって愛国心に燃えたが、そのなかでももっとも強烈なのはモーリス・ラヴェル(1875-1937)であった。戦争が起こるとラヴェルはこの戦争に志願するが、体格が小さいことなどの理由で、輸送自動車部隊に配属された。トラック輸送部隊の隊員となったものの彼は1916年、赤痢に罹患して病院に収容された。
フランス国内の反ドイツ感情は、ラヴェルだけではなく晩年のドビュッシーにおいても同様であった。1914年に作曲されたドビュッシーの《英雄の子守歌》は、ドイツ軍が中立国のベルギー領内を通過したことに対してベルギーが武力で対抗したことを称えて作曲された作品である。そのために作品は「ベルギー国王アルベール一世陛下とその兵士たちをたたえて」という副題をもつ。また《白と黒》もこの戦争を背景としており、第2曲にはフランソワ・ヴィヨンの「フランスの敵へのバラード」を掲げ、戦死したジャック・シャルロ中尉に捧げられている。
ラヴェルの《クープランの墓》は、この戦争が音楽家にとって何だったのかも併せて問うている。彼の作曲に当たって、6曲のそれぞれを第一次世界大戦で亡くなった若い人々に捧げた。第1曲《プレリュード》は「ジャック・シャルロ中尉の思い出に」、第2曲の《フーガ》は「ジャン・クルップ少尉の思い出に」、第3曲の《フォルラーヌ》は「ガブリエル・ドリュック中尉の思い出に」、第4曲の《リゴードン》は「パスカル・ゴーダン・ピエール兄弟の思い出に」、第5曲の《メヌエット》は「ジャン・ドレフュスの思い出に」、第6曲の《トッカータ》は「ジョゼフ・ド・マルリアーヴ大尉の思い出に」、それぞれ捧げられた。そしてこの作品を初演したマルグリット・ロンは戦死したマルリアーヴ大尉の妻であった。この作品でラヴェルは、ルイ14世時代のフランスを回顧して、フランスの最も美しいものを、もっとも美しく描くことによって、フランス文化の伝統の不滅を表現しようとしたのである。
フランス国内の反ドイツ感情は、ラヴェルだけではなく晩年のドビュッシーにおいても同様であった。1914年に作曲されたドビュッシーの《英雄の子守歌》は、ドイツ軍が中立国のベルギー領内を通過したことに対してベルギーが武力で対抗したことを称えて作曲された作品である。そのために作品は「ベルギー国王アルベール一世陛下とその兵士たちをたたえて」という副題をもつ。また《白と黒》もこの戦争を背景としており、第2曲にはフランソワ・ヴィヨンの「フランスの敵へのバラード」を掲げ、戦死したジャック・シャルロ中尉に捧げられている。
ラヴェルの《クープランの墓》は、この戦争が音楽家にとって何だったのかも併せて問うている。彼の作曲に当たって、6曲のそれぞれを第一次世界大戦で亡くなった若い人々に捧げた。第1曲《プレリュード》は「ジャック・シャルロ中尉の思い出に」、第2曲の《フーガ》は「ジャン・クルップ少尉の思い出に」、第3曲の《フォルラーヌ》は「ガブリエル・ドリュック中尉の思い出に」、第4曲の《リゴードン》は「パスカル・ゴーダン・ピエール兄弟の思い出に」、第5曲の《メヌエット》は「ジャン・ドレフュスの思い出に」、第6曲の《トッカータ》は「ジョゼフ・ド・マルリアーヴ大尉の思い出に」、それぞれ捧げられた。そしてこの作品を初演したマルグリット・ロンは戦死したマルリアーヴ大尉の妻であった。この作品でラヴェルは、ルイ14世時代のフランスを回顧して、フランスの最も美しいものを、もっとも美しく描くことによって、フランス文化の伝統の不滅を表現しようとしたのである。
西原稔
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。