#28 ナポレオンの使者クロイツェルとは ♪ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」 - アクロス福岡
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歴史を彩った名曲たち

#28 ナポレオンの使者クロイツェルとは 
♪ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」

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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番は彼の最高傑作である。ベートーヴェンの中期様式に入る直前の創作で、第3楽章が1802年に作曲され、第1、第2楽章は1803年に作曲された。作品は、ブリッジタワー(アフリカ黒人とヨーロッパ人との間に生まれた演奏家、イギリスのウェールズ公の楽団の主席ヴァイオリン奏者)の演奏会のために書かれたが、彼との確執が生じ、ベートーヴェンはこれを「パリで最高のヴァイオリニストとピアニスト」に捧げることにした。その候補者とされたのがクロイツェルと、新しいピアノのメソードを確立したルイ・アダンであった。結局、ベートーヴェンはクロイツェルに作品を献呈し、作品は「クロイツェル」の名でよばれるようになった。
クロイツェル、正しくはロドルフ・クルゼールはフランスのヴァイオリン奏者で、パリ音楽院の教授を長く務め、彼の「練習曲あるいはカプリス」は現在も教育用に用いられている。彼は1798年、ナポレオン配下のベルナドットと連れ立ってウィーンを訪問しており、その折にベートーヴェンと会い、彼はクロイツェルの演奏を聴いている。
このころからベートーヴェンはナポレオンに対して強い崇敬の念を抱くようになる。ベートーヴェンがフランスの音楽家に作品を献呈したのは、おそらく「交響曲第3番」をナポレオンに献呈しようとしたことと無関係ではない。ベートーヴェンはパリでの活動を強く意図していたと考えられ、さまざまな形でフランスの音楽界とコンタクトを図っていた。1803年にフランスのエラール社からピアノの寄贈を受けたのもその一つで、クロイツェルがベートーヴェンから作品の献呈をうけたのもこのコンタクトの一環かもしれない。しかしクロイツェルはこの作品に関心を示さず、一度も演奏しなかったといわれている。
ナポレオン戦争でいくつも戦功をたてたベルナドットはその後、ナポレオンと対立し、今度は反ナポレオン軍の将軍となり、解放戦争でナポレオンを打ち破る。彼はその後、スウェーデンの国王に即位し、この王朝は現在まで受け継がれている。

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西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学特別招聘教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。