#29 ベートーヴェンとナポレオン ♪交響曲 第3番「英雄」 - アクロス福岡
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歴史を彩った名曲たち

#29 ベートーヴェンとナポレオン ♪交響曲 第3番「英雄」

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ベートーヴェンは民衆の英雄としてナポレオンを賛美していた。それを象徴するのがこの「交響曲第3番」で、ベートーヴェンはこの作品をナポレオンに献呈しようとしていた。
ベートーヴェンがナポレオンの存在を身近に感じたのは、1798年、フランスの代表的なヴァイオリン奏者で作曲家のロドルフ・クロイツェルが、ナポレオン配下のベルナドットとともにベートーヴェンを訪問した時であった。この頃からベートーヴェンはフランスを強く意識するようになり、クロイツェルに「ヴァイオリン・ソナタ第9番」を献呈することになる。
このような経緯から完成された交響曲の自筆譜に最初に記されたタイトルは「ボナパルト」(ナポレオンの名前)であった。ところが1804年5月、ナポレオンが皇帝ナポレオン1世として即位したことを知ると、民衆の英雄と思っていたナポレオンは権力の権化であるとして彼は激怒し、献辞を削り落とし、改めて「シンフォニア・エロイカ(イタリア語で「英雄交響曲」)ある英雄の思い出のために」という言葉を表紙に記した。
しかし、ナポレオンへの思いが消えたわけではない。1809年、ナポレオンの弟ジェロームがドイツのヴェストファーレンの国王に就任すると、ベートーヴェンに楽長就任を要請し、ベートーヴェンは受諾している。ベートーヴェンはこっそりとウィーンを離れようとしたが、この事実が明るみになり、ルドルフ大公らが4000フロリンの年金を支給することでウィーンにとどまることになる。そして同年、ナポレオンはウィーンに侵攻する。ベートーヴェンの心の中でナポレオンが消えたのはやっとこの時であった。
この作品の以前に作曲された「ピアノ・ソナタ第12番《葬送》」(作品26)の第3楽章は「ある英雄の死を悼んで」と題されている。この英雄はナポレオン戦争で戦死したプロイセン王子ルイ・フェルディナントを指していると考えられている。この交響曲第3番「英雄」の第2楽章も荘重で悲痛な情感あふれる葬送行進曲であるが、この楽章によって彼は何を表そうとしたのだろうか。

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西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学特別招聘教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。