#30 フランスのピアノ
♪ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ 第23番《熱情》」
ナポレオン戦争のただなかの1803年、フランスからベートーヴェンのもとに1台のピアノが贈り届けられた。それはフランスのエラール社のピアノであった。ベートーヴェンのピアノソナタの創作の大きな転換点を成す傑作が「ピアノソナタ第21番《ヴァルトシュタイン》」とこの《熱情》であるが、この創作を導いたのがフランスのエラール社のピアノである。
このピアノの製作者セバスティアン・エラールは18世紀末に、ブルボン王家のバックアップを得て楽器製作者として台頭するものの、フランス革命が起こると彼はロンドンに難を逃れる。エラールはロンドンでイギリス式の打鍵装置(突き上げ式、現在のピアノの装置)を習得し、革命のほとぼりの冷めた1796年に帰国し、パリで楽器製作者として活動を始める。
このピアノの製作者セバスティアン・エラールは18世紀末に、ブルボン王家のバックアップを得て楽器製作者として台頭するものの、フランス革命が起こると彼はロンドンに難を逃れる。エラールはロンドンでイギリス式の打鍵装置(突き上げ式、現在のピアノの装置)を習得し、革命のほとぼりの冷めた1796年に帰国し、パリで楽器製作者として活動を始める。
ベートーヴェンはかねがねパリの音楽について深い関心を寄せていた。彼は以前からウィーンのピアノには不満を漏らしており、このエラール社の新型ピアノについても何らかの情報を得ていたのかもしれない。ベートーヴェンがボンの宮廷楽団に属していた頃に同僚で、当時はパリ音楽院で教育に当たっていたアントニン・レイハと、コンタクトをとった可能性が考えられている。
かくしてエラールは陸路、ベートーヴェンのもとにパリから新型ピアノを搬送することになる。そのピアノは、これまでのピアノよりも高い音域が5度広く、しかも、下から突き上げる方式のピアノは、繊細な音質のウィーンのピアノとはまったく異なっていた。このピアノは、従来のピアノではファの音までしか出すことができなかったのに対して、その上のドの音まで出すことが可能で、彼がこのピアノに大きな霊感を得たことは、「ヴァルトシュタイン」の楽譜の、高音域に書き込まれた音名のアルファベットによく示されている。そして、すでに完成していた「ピアノ協奏曲第3番」を、その出版に際してはこのピアノの音域に合わせて、高いドの音まで用いるように改訂している。ベートーヴェンにとってこの時代のフランスは、あらゆる面で間違いなく音楽の理想の国であった。
かくしてエラールは陸路、ベートーヴェンのもとにパリから新型ピアノを搬送することになる。そのピアノは、これまでのピアノよりも高い音域が5度広く、しかも、下から突き上げる方式のピアノは、繊細な音質のウィーンのピアノとはまったく異なっていた。このピアノは、従来のピアノではファの音までしか出すことができなかったのに対して、その上のドの音まで出すことが可能で、彼がこのピアノに大きな霊感を得たことは、「ヴァルトシュタイン」の楽譜の、高音域に書き込まれた音名のアルファベットによく示されている。そして、すでに完成していた「ピアノ協奏曲第3番」を、その出版に際してはこのピアノの音域に合わせて、高いドの音まで用いるように改訂している。ベートーヴェンにとってこの時代のフランスは、あらゆる面で間違いなく音楽の理想の国であった。
西原稔
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学名誉教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。