#33 諸国民戦争とベートーヴェンの「交響曲第7番」
ナポレオン戦争のさなかの1813年12月8日、ハーナウ戦役傷病兵のための救援資金調達慈善演奏会で、ベートーヴェンの交響曲第7番が初演された。作品は熱狂的な歓声に包まれ、第2楽章は繰り返し演奏を求められるほどであった。この日は、戦争交響曲の異名を持つ「ヴィットーリアの戦いあるいはウェリントンの勝利」も初演され、大喝采を博した。演奏会では、ベートーヴェンの親友でヴァイオリン奏者のシュパンツィクや宮廷楽長でベートーヴェンの師のサリエリのほかに、フランスのグランド・オペラの作曲家としてその後名声を博するマイアーベーア、ハイドンの退職後にエステルハージ家の宮廷楽長に就任したフンメル、ベートーヴェンに一時、師事したモシェレス、コントラバス奏者のドラゴネッティらも演奏に参加し、2回の演奏会で4000グルデンもの収益をあげた。
この演奏会で「交響曲第7番」とともに演奏された「ヴィットーリアの戦いあるいはウェリントンの勝利」は、同年6月にヴィットーリアでイングランドのウェリントン将軍率いる軍がナポレオン軍に勝利した戦いを描いた作品で、まさに戦争の実況中継を思わせるような音楽である。この作品は元来、メトロノームで知られるヨーハン・ネポムク・メルツェル製作の「パン・ハルモニコン」という自動楽器のために作曲されたものである。
ナポレオン戦争末期の「諸国民戦争」では、反ナポレオンの連合軍とフランスとの事実上、最後の総力戦が繰り広げられた。敗色濃いナポレオン軍であったが、ハーナウでの戦いではバイエルン軍を敗走させる。「交響曲第7番」が初演されたのはこのハーナウでの戦いと結びついている。そのころのオーストリアでは愛国的な感情が大きな高まりをみせ、ベートーヴェンはまさに時の人であった。上に述べたように特に大きな喝采を受けたのは第2楽章で、2小節一組のリズム動機による主題を弦楽器が奏で、この同じリズム動機が反復されるなかで、さまざまな楽器が旋律を重ね、次第に大きく高揚していく。この作曲手法は、その後のラヴェルの「ボレロ」に受け継がれることになる。
ナポレオン戦争末期の「諸国民戦争」では、反ナポレオンの連合軍とフランスとの事実上、最後の総力戦が繰り広げられた。敗色濃いナポレオン軍であったが、ハーナウでの戦いではバイエルン軍を敗走させる。「交響曲第7番」が初演されたのはこのハーナウでの戦いと結びついている。そのころのオーストリアでは愛国的な感情が大きな高まりをみせ、ベートーヴェンはまさに時の人であった。上に述べたように特に大きな喝采を受けたのは第2楽章で、2小節一組のリズム動機による主題を弦楽器が奏で、この同じリズム動機が反復されるなかで、さまざまな楽器が旋律を重ね、次第に大きく高揚していく。この作曲手法は、その後のラヴェルの「ボレロ」に受け継がれることになる。
西原稔
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学名誉教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。