#35 ウィーン会議 ♪カンタータ「栄光の瞬間」 - アクロス福岡
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歴史を彩った名曲たち

#35 ウィーン会議 ♪カンタータ「栄光の瞬間」

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1814年、ナポレオンはベルナドット率いるスウェーデン軍とウェリントン率いるイギリス軍によって敗北し、エルバ島に流罪となる。この年、諸国の国王や外交官がウィーンに集まり、ナポレオン戦争の戦後処理の会議「ウィーン会議」が催された。ベートーヴェン作曲の4人の独唱、合唱とオーケストラのためのカンタータ「栄光の瞬間」(作品136)はウィーン会議参列の各国の国王に捧げられた。この会議を讃えて、ベートーヴェンはこの年にウィーン会議に参列した各国の王侯のために、「連合した王侯たちへの合唱」(WoO95)や、ロシアの皇后エリザヴェータに献呈した「ポロネーズ」(作品89)を作曲している。
チロルの医師で詩人のアロイス・ヴァイゼンバッハのテキストに作曲されたカンタータ「栄光の瞬間」は非常に規模の大きな作品で、合唱が「ヨーロッパは立つ!そして時は永遠に歩み続ける」と歌いだして始まる。この作品では合唱が「ヴィエンナ(ウィーン)、ヴィエンナ」と叫ぶと、ウィーン役の独唱が「おお神よ、何と輝かしいことか!」と歌いだす。6曲からなるこの壮大な作品は、ウィーン会議に列席した王侯を迎えて、1814年11月29日にレドゥーデンザールで初演され、そこには詰めかけた6000人の聴衆の大喝采を受けた。
この作品は、ナポレオン戦争終結とこのウィーン会議開催をベートーヴェンが高揚した感情で捉えていたことをよく示している。壮大な作品で、その後の交響曲第9番の第4楽章の「歓喜の合唱」に連なる系譜に属するが、今日演奏される機会はほとんどない。
この会議中に1815年、ナポレオンはエルバ島を脱出し、ふたたびフランス皇帝に復位し、軍を率いて連合国と対峙することになる。この戦争はワーテルローの戦いでフランス軍の敗北で決着し、ナポレオンはセントヘレナ島に流されることになる。
ウィーン会議では領土問題とともにフランス革命が公式に否定され、ウィーンとパリで処刑されたルイ16世を追悼する式典が催される。その折にフランスではケルビーニが、ウィーンではベートーヴェンではなく、ジギスムント・ノイコムが「レクイエム」を作曲している。

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西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学名誉教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。