#36 メッテルニヒ体制 ♪ミサ・ソレムニス - アクロス福岡
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歴史を彩った名曲たち

#36 メッテルニヒ体制 ♪ミサ・ソレムニス

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ベートーヴェンの交響曲第9番の初演が鳴り響いた1824年5月7日、ウィーンのケルンテン門劇場では、「ミサ・ソレムニス」が抜粋の形でウィーンにて初演された。ナポレオン戦争が終結してヨーロッパは「ウィーン体制」という、大国間の均衡外交を旨とする新しい秩序がもたらされた。この体制を主導したのがオーストリアの宰相に就任したクレメンス・フォン・メッテルニヒである。
ウィーン体制では厳しい言論統制と書物の検閲が強化され、その最初の被害者はシューベルトである。自由主義的な思想をもっていた彼は官憲によって捉えられている。
もっとも嫌疑不十分で釈放されるが、彼のオペラ「謀反人たち」は検閲によって「家庭戦争」に改題させられ、オペラ「グライヒェン伯爵」やオラトリオ「ラザロ」はそのテキストが検閲で不可とされて、これらは未完成に終わっている。ウィーンの町には数多くの密告者が放たれ、ベートーヴェンもまたこの密告者に付け狙われていた。
「ミサ・ソレムニス」はベートーヴェンの弟子にしてパトロンのルドルフ大公がオルミュッツの大司教に就任したことのお祝いに作曲が開始された。しかし就任式までに完成できず、作品は1824年にサンクトペテルブルクで初演されている。非常に規模の大きな作品で、彼の合唱音楽の頂点を極めていると言っても過言ではない。
この初演の1ヵ月後にウィーンで再演されたときに、この作品は「キリエ」、「クレド」、「アニュスデイ」のみがしかもミサ曲ではなく「大讃歌」というタイトルで演奏された。これはミサ曲を劇場で演奏することに当局が難色を示したからに他ならない。このとき教会筋が上演に反対したことを受けて、検閲官は演奏を却下している。ベートーヴェンは嘆願書を提出し、上記の作品の名称変更と3つの楽章のみにすることでやっと承認にこぎつけたのである。
ベートーヴェンは交響曲第9番の「歓喜の合唱」で、自由を高らかに歌い上げているが、このとき自由とは、さまざまな言論統制を敷いたメッテルニヒ体制からの自由の意味も込められていたのかもしれない。

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西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学名誉教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。