#39 ピアノの技術革新
♪ピアノ・ソナタ 第29番《ハンマークラヴィーア》
ベートーヴェンのピアノ作品の創作は、ピアノという楽器の技術革新と歩みを共にしていた。ハイドンやモーツァルトの時代からピアノは5オクターヴの楽器が標準であったが、ベートーヴェンはこの音域に大いに不満を表明し、楽器では演奏することのできない音を想定して作品を書くようになる。
1803年、ベートーヴェンはフランスのエラール社のピアノの寄贈を受ける。このピアノは5オクターヴ半の音域をもち、彼はこの音域を生かして「ワルトシュタイン」と「熱情」という傑作を生みだしている。
1809年、ウィーンの女性のピアノ製作者のナネッテ・シュトライヒャーの新型ピアノを知り、再び創作力を取り戻したベートーヴェンは「ピアノ・ソナタ第26番《告別》」を作曲する。そしてこのピアノを用いて彼はそれまでの彼のピアノ・ソナタの常識を打ち破るきわめて規模の大きな作品の創作に挑む。それが《ハンマークラヴィーア》である。
《ハンマークラヴィーア》は特定のメーカーのピアノを指して用いた語ではなく、彼はそのほかの作品についてもハンマークラヴィーアという語を用いているが、作品名として定着したのが第29番である。彼は第1楽章から第3楽章までをファからファまでの6オクターヴの音域をもつシュトライヒャーのピアノを用いて作曲した。シュトライヒャーのピアノは、ウィーンの伝統的な打弦機構によるピアノである。ところが、この第29番の作曲中に、イギリスのブロードウッド社のピアノが彼のもとに届けられる。ブロードウッドのピアノは、イギリス・アクションといって現代のピアノと同じ打弦機構による楽器で、しかも長く伸ばすペダルは二つに割れていて、高音部と低音部を別々に操作することができ、ドからドまでの6オクターヴの音域をもっていた。ベートーヴェンはこのブロードウッドのピアノを用いて第4楽章を作曲する。第3楽章まではシュトライヒャーの出すことのできる高いファの音を用い、第4楽章はブロードウッドの出すことのできる低いドの音を用い、まさにピアノ技術の粋が《ハンマークラヴィーア》に結集されている。
1803年、ベートーヴェンはフランスのエラール社のピアノの寄贈を受ける。このピアノは5オクターヴ半の音域をもち、彼はこの音域を生かして「ワルトシュタイン」と「熱情」という傑作を生みだしている。
1809年、ウィーンの女性のピアノ製作者のナネッテ・シュトライヒャーの新型ピアノを知り、再び創作力を取り戻したベートーヴェンは「ピアノ・ソナタ第26番《告別》」を作曲する。そしてこのピアノを用いて彼はそれまでの彼のピアノ・ソナタの常識を打ち破るきわめて規模の大きな作品の創作に挑む。それが《ハンマークラヴィーア》である。
《ハンマークラヴィーア》は特定のメーカーのピアノを指して用いた語ではなく、彼はそのほかの作品についてもハンマークラヴィーアという語を用いているが、作品名として定着したのが第29番である。彼は第1楽章から第3楽章までをファからファまでの6オクターヴの音域をもつシュトライヒャーのピアノを用いて作曲した。シュトライヒャーのピアノは、ウィーンの伝統的な打弦機構によるピアノである。ところが、この第29番の作曲中に、イギリスのブロードウッド社のピアノが彼のもとに届けられる。ブロードウッドのピアノは、イギリス・アクションといって現代のピアノと同じ打弦機構による楽器で、しかも長く伸ばすペダルは二つに割れていて、高音部と低音部を別々に操作することができ、ドからドまでの6オクターヴの音域をもっていた。ベートーヴェンはこのブロードウッドのピアノを用いて第4楽章を作曲する。第3楽章まではシュトライヒャーの出すことのできる高いファの音を用い、第4楽章はブロードウッドの出すことのできる低いドの音を用い、まさにピアノ技術の粋が《ハンマークラヴィーア》に結集されている。
西原稔
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学名誉教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。