#40 ベートーヴェンの晩年の創作 「バガテル」に込めた思いとは - アクロス福岡
Language 検索
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • Twitter

歴史を彩った名曲たち

#40 ベートーヴェンの晩年の創作 「バガテル」に込めた思いとは

メインイメージ

1822年に第32番の最後のピアノ・ソナタを完成させ、1823年に最後の変奏曲「ディアベッリの主題による変奏曲」を完成させたベートーヴェンはどこに向かっていったのであろうか。1826年、彼の死の前年まで取り組んだのは弦楽四重奏曲の創作であったが、同時に、「バガテル」と題するピアノ小品集の作曲を手掛けていた。
この「バガテル」とは、「とるに足らないもの」を意味し、彼が挑んできたピアノ・ソナタの創作とは対照的なジャンルである。しかし、ベートーヴェンは1822年に「11の新しいバガテル」作品119を完成し、1824年に「6つのバガテル」作品126を完成する。彼はそれ以前にもバガテルの創作を行っており、最も有名なのは「エリーゼのために」WoO59である。これらの作品は共通にわかりやすく、演奏も非常に容易なのが特徴で、明らかに音楽愛好家を対象としている。事実、「11のバガテル」の第7曲から第11曲は、シュタルケの刊行した「ウィーン・ピアノフォルテ教程」という教則本に収められた作品で、これらは民謡編曲風である。
最後のピアノの曲集となった「6つのバガテル」作品126では、左右の手による対話のような表現や、民俗楽器の手回しオルガンのようなハーデイー・ガーディーの音色、劇場での幕開けを思わせる表現など、これまでのベートーヴェンにはみられない親しみやすい旋律に満ちている。
1815年にナポレオン戦争が終わり、ビーダーマイヤー文化とよばれる市民文化が開化し、ピアノ小品がもてはやされるようになっていた。「バガテル」は彼のこれまでの創作とは異なる新しい傾向を示している。ウィーンでは人々はロッシーニの軽妙なオペラに歓声をあげ、舞踏会場は華やかなワルツに興じる人々であふれかえっていた。ベートーヴェンの晩年のこれらの「バガテル」には、新しい市民文化の雰囲気が感じられる。同時にそれまでのピアノ・ソナタが歴史的な使命を終えたことも示している。ちょうどこの時期に同じウィーンに住むシューベルトは、ロマン派の新しい作品を次々と世に送り出していた。

イメージ
西原稔 山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。現在、桐朋学園大学名誉教授。18、19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「シューマン 全ピアノ作品の研究上・下」(ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」、「クラシックでわかる世界史」などの著書などがある。