西島伊三雄(グラフィックデザイナー)
福岡市営地下鉄の各駅につけられたシンボルマーク。国内外の大都市を見ても、漢字などが読めない観光客向けに番号が振られていることは珍しくないが、各駅にシンボルマークがあるのは珍しい。しかも一目でその町の特徴や歴史がわかるような、ピクトグラム的要素も持ったデザイン。各駅全てのマークを作り出したのは、福岡を代表するグラフィックデザイナー・西島伊三雄だ。
絵師として、戦時中は軍国ポスターなどばかりを描いていたという西島は、終戦後「自分の描いたもので世の中を明るく照らしたい」と強く願い、各県や各市町村の観光ポスターを多くデザインした。「自分にしか創れないものを」「他とは違うものを」という想いを貫いた結果、写真ではなく自身の手で描き出したイラストを使ったポスターに行きついたという。それらポスターは世界でも高く評価され、昭和35年にはアルゼンチンで開催された世界観光ポスターコンクールで最優秀賞を受賞する。その後福岡を拠点としながら全国、そして世界で活躍していた西島だが、終生この街を愛し続けた。インスタントラーメン「うまかっちゃん」の袋デザイン、西鉄グランドホテルのマーク、山笠・どんたくの絵が描かれている、博多駅筑紫口正面の噴水にある陶板など、西島の作品群は今も福岡に住む我々の生活の一部に溶け込んでいる。
「山笠、どんたく、放生会、玉せせり…父は福岡のあらゆるものをモチーフに描いています。博多の勝手な宣伝隊長だったんですよね(笑)。晩年、先生と呼ばれるようになってからも、飲み屋で隣になった相手に、箸先に醤油を付けて箸袋の裏に絵を描いて渡したなんて話が残っているほど、面白い男でした。父の絵からにじみ出る味わいは、父の人柄そのものなのかもしれません」とご長男の西島雅幸さん。
コンセプトは「子どもから年寄りまでわかるものを」。常に町の人々と同じ位置に視点を置き続けた巨匠は、永遠にこの街の人々から愛され続けるはずだ。
絵師として、戦時中は軍国ポスターなどばかりを描いていたという西島は、終戦後「自分の描いたもので世の中を明るく照らしたい」と強く願い、各県や各市町村の観光ポスターを多くデザインした。「自分にしか創れないものを」「他とは違うものを」という想いを貫いた結果、写真ではなく自身の手で描き出したイラストを使ったポスターに行きついたという。それらポスターは世界でも高く評価され、昭和35年にはアルゼンチンで開催された世界観光ポスターコンクールで最優秀賞を受賞する。その後福岡を拠点としながら全国、そして世界で活躍していた西島だが、終生この街を愛し続けた。インスタントラーメン「うまかっちゃん」の袋デザイン、西鉄グランドホテルのマーク、山笠・どんたくの絵が描かれている、博多駅筑紫口正面の噴水にある陶板など、西島の作品群は今も福岡に住む我々の生活の一部に溶け込んでいる。
「山笠、どんたく、放生会、玉せせり…父は福岡のあらゆるものをモチーフに描いています。博多の勝手な宣伝隊長だったんですよね(笑)。晩年、先生と呼ばれるようになってからも、飲み屋で隣になった相手に、箸先に醤油を付けて箸袋の裏に絵を描いて渡したなんて話が残っているほど、面白い男でした。父の絵からにじみ出る味わいは、父の人柄そのものなのかもしれません」とご長男の西島雅幸さん。
コンセプトは「子どもから年寄りまでわかるものを」。常に町の人々と同じ位置に視点を置き続けた巨匠は、永遠にこの街の人々から愛され続けるはずだ。
(文・上田瑞穂)
▲グラフィックデザイナー・西島伊三雄(1923-2001)
▲福岡市営地下鉄シンボルマーク
▲山笠・どんたくが描かれている陶板(JR博多駅筑紫口)
▲「こいのぼり」
西島作品の多くは子どもが描かれている。「戦争から復員するときに、兄弟や友達のことを思い出して懐かしくなり、自分が子どものころの風景を残したくなったから」とその理由を雅幸さんに話したという。