井上伝(久留米絣創始者) - 福岡クリエーター 人物列伝 - アクロス福岡
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福岡クリエーター 人物列伝

井上伝(久留米絣創始者)

日本三大木綿絣の一つとも言われる久留米絣。誰もが知るこの織物を創りだしたのは、江戸後期の久留米に米穀商の娘として生まれた井上伝だ。7~8歳で既に機(はた)を織っていた伝は、13歳のときに新しい織り方を編み出す。

ある日、着古した藍染の着物が色落ちして白い斑点が浮かんでいることに気付いた伝。「こんな着物が欲しいわ。いったい、どういう仕組みなのかしら?」持ち前の好奇心で布を解き始めた彼女は、織り糸に色むらが出来ていることに注目する。「では、はじめから藍と白の斑(まだら)に染めた糸で織れば、面白い紋様が生まれるかもしれない」。白い糸を束ね、数か所を括って藍の汁に浸すと、括った部分のみ白く、残りは青く染まった。その糸を機にかけて織るも、なかなか思った紋様は生まれない。「きっと必ず新しい斑紋(はんもん)が生まれるはず」その一念で試行錯誤を繰り返した伝は、ついに今まで見たことのない立体的な紋様を手にしたのだ。伝が生み出したこの「霜降織」(しもふりおり)「霰織」(あられおり)と呼ばれる新しい織物は、瞬く間に人々の話題となった。この織り方を彼女は「加寿利」(かすり)と名付け、これが久留米絣の始まりと言われている。彼女は15歳の頃には既に多くの門下生を抱えていたという。

その後、21歳で織屋に嫁ぐも、28歳のときに夫が病気で死去。3人の子どもを抱えた伝は、さらに機織りに心血を注ぐようになる。弟子の数は増え続け、40歳のころには1000人を超えたという記述も。弟子たちが各地でさらに技術を伝え、伝が生み出した久留米絣は筑後の村々に広く根付いていった。

いまや久留米を代表する伝統産業の一つである久留米絣。生涯を82歳で閉じるまでに、数千人にその技術を伝え続けた一人の女性の情熱と信念の強さが、この町に新しい産業と文化を生み出したのだ。

(文・上田瑞穂)

久留米絣創始者・井上伝(1788-1869)
▲久留米絣創始者・井上伝
(1788-1869)
筬(おさ)・杼(ひ)・はさみ・めがね
▲伝の愛用品:上から筬(おさ)・杼(ひ)・はさみ・めがね
久留米絣資料館で実物を見ることができる
現在は洋服や小物としても多く愛用されている
▲現在は洋服や小物としても多く愛用されている
久留米絣資料館
▲資料館では戦前の貴重な作品の展示のほか、久留米絣の機織りも体験することができる(無料)
久留米絣資料館
Tel:0942-44-3700
《住所》久留米市東合川5-8-5
(地場産くるめ2階)
《営業時間》10時~17時
《休館日》年末年始