林田博行(若竹屋酒造場12代蔵元) - 福岡クリエーター 人物列伝 - アクロス福岡
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福岡クリエーター 人物列伝

林田博行(若竹屋酒造場12代蔵元)

葡萄(ぶどう)、と聞くと黒い大粒の房を頭に思い浮かべる日本人は多い。いまや葡萄の代名詞ともいえる巨峰は、今から約60年前、不撓(ふとう)不屈の精神を持つある町の人々によってその存在が世に送り出された。町の名は浮羽郡田主丸(たぬしまる)町(現久留米市)。そしてそれを率いた人物は、この地に元禄年間から続く酒蔵の12代蔵元、林田博行だ。

戦後、酪農業や米麦農業など復興のためにさまざまな取り組みをしていた田主丸の人々。失敗続きのなかでもめげることなく、この土地ならではの産物を模索していたときに出会ったのが、戦前に開発されながらも栽培に至っていなかった幻の品種・巨峰であった。耳納(みのう)連山に囲まれた水はけのよい傾斜地でありながら、頓挫した酪農業の副産物として栄養分が高まっていたこの土地は、「日本でまだ誰も見たことがない大粒の葡萄」を栽培するのに適しているのではないか。研究者とともにその可能性に気付いた林田は、地域の人々を説得し、町をあげての巨峰の栽培に乗り出す。

初めてのチャレンジは失敗続き、今年こそ…と実が膨らみかけたところに、台風が来る。「そもそも誰も見たことがない葡萄ができたところで売れるやろか」そう町の人々がくじけそうになったとき、林田が言った。「もう少しだけやってみよう。売れなかったら全部私が引き受ける」。この言葉が町の人々を奮起させ、日本を代表する巨峰の産地を創りだした。

「余ったらワインにしたらいい、なんて言っていたそうです。当時まだ、ワインの作り方も知らないのに」そう笑うのは博行の孫にあたる、14代蔵元の林田浩暢(ひろのぶ)さん。現在、田主丸の観光要所の一つである「巨峰ワイン」の代表でもある。

「やっとの想いで結実した巨峰でしたが、いざ販売となると輸送する間に粒が大きいので房から落ちてしまう。だったら、葡萄を運ぶのではなく、お客さまを運べばいいと逆転の発想で、フルーツ狩りを発案したのも祖父と田主丸の人々だったようです。そうして、日本初の観光果樹園が誕生しました。これが大当たりして、当時はシーズン中2カ月で70万人もの人が田主丸を訪れたそうです。柔軟な発想とイノベーター魂を持っているのが、田主丸人の気質だと思いますね」。

大きな気概で町の人々とともに「巨峰」という新しい品種をこの地に根付かせた博行。その息子である13代蔵元・正典は、技術者ではなかった父の想いを受け醸造工学博士となり、巨峰からワインを作るという、こちらも前代未聞の偉業を成し遂げた。

(文・上田瑞穂)

若竹屋酒造場12代蔵元・林田博行(1907-2003)
▲若竹屋酒造場12代蔵元・林田博行(1907-2003)
巨峰狩り
▲巨峰狩りのベストシーズンは8~9月
巨峰ワイナリー
巨峰ワイナリー
▲巨峰ワイナリーにはレストランやショップがあり、工場見学や試飲も可能。美しい木々に囲まれた敷地内を歩くだけでも癒やされる
株式会社 巨峰ワイン
Tel:0943-72-2382
《住所》久留米市田主丸町益生田246-1