第1回 博多織 スタイリッシュに博多織を生かす - 匠にであう - アクロス福岡
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第1回 博多織 スタイリッシュに博多織を生かす

JALリゾートシーホーク福岡4階の「HAKATA JAPAN」
▲JALリゾートシーホーク福岡4階の「HAKATA JAPAN」
長い歴史と伝統を誇る博多織を素材に、ハンドバッグや靴などの創作に新境地を切り拓こうとしている「匠」がいる。伝統とファッションとの、また、織物と他業種とのコラボレーションから生み出される新しいテイスト。その仕事は、古い伝統に新しい血を注ぎ込む挑戦のようにもみえる。

鴛海伸夫(福岡市東区水谷)さんがその人。ご自宅を訪ねた日、鴛海さんが茶色の細長い袋から取り出したのは3段に折り畳んだステッキ。

「ここを見てください」と人差し指をあてた金属の部分に、柔らかな肌色の布地に伝統の『壽』文様があった。
「うちの博多織です。埼玉県のステッキメーカーと研究開発中ですが、絹織物では初めて成功したコーティング技術です」

冷たい金属製のステッキが博多織で温か味を帯びて見える。

これまでも鴛海さんは東京・浅草のバッグメーカーの協力を得て、『献上』のほかに『華扇』『壽』の柄を使ったハンドバッグやポシェットなど数種を「HAKATA JAPAN」のブランドでJALリゾートシーホークホテル福岡4階にある直営店などを通じて世に出してきた。「東京の靴メーカーと提携してパンプスも商品化できました」と、目に力を込めた。

博多織を素材に現代のファッションを追求している鴛海さんの「HAKATA JAPAN」を支援している「21世紀博多織JAPANブランドプロジェクト」では今年からフランス・パリに売り込みをかけた。イタリア・ミラノに広げることも検討している。

伝統を絶やさない使命感に動かされ

祖父の代から続く織元の家に生まれた鴛海さん。「父の代までは博多織は隆盛でした。子どもの頃から織機の音を聞いて育ちました。大学卒業後も父のもとで博多織の勉強をして数年経ったころ、自宅周辺はすっかり住宅が建て込み工場がやっていけなくなりました。ちょうど廃業する博多織元が増えていた時期でした」

鴛海さんは上京して、インテリア関係の会社に再就職した。30歳のときだった。博多織業界を離れた鴛海さんが、父親の株式会社鴛海織物工場に戻ってきたのはそれから10年後、奇しくも博多織工業組合の「HAKATA JAPAN」の立ち上げに携わったことからだ。

「私の製作の基本は、エンドユーザーから直接マーケティングをして、HAKATA JAPANブランドのエッセンスを加味することです。その際に様々な人々と手を組んでアイデアを出し合ってものづくりをしています。この人達のほとんどが博多織業界とはまったく無縁の人なんです。博多織の市場は現在40億円ほど。10年後には半減するのではという危機感の中で伝統の博多帯の市場で努力している人もいて、私のような異端もいる。それぞれが力を出し合って、博多織が本当の意味でブランドとして認知され地元の人々に愛されることを願っています」と話す。
(文・安藤憲孝)

  • お問い合わせ

    株式会社鴛海織物工場
    TEL:092-681-1368
    TEL:092-661-1238
    HAKATA JAPAN
    TEL:092-832-5101
  • お知らせ

    「HAKATA JAPAN」新作展
    2007年4月17日(火)〜2007年4月22日(日)
    2007年、より進化した「HAKATA JAPAN」の新作が勢揃い。鴛海さんにも会えるよ。

  • 絵・文  あんどう・のりたか
    年甲斐もなく好奇心が強い。無論、全てにそうではないが、特にモノ作りの現場でいつの間にか身を乗り出している。創造の世界が新鮮に映る。衰えそうもない好奇心に当分、付き合っていくか…
鴛海 伸夫さん(48歳)
▲鴛海 伸夫さん(48歳)
2007年春夏バージョンのバッグやグッズ
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▲2007年春夏バージョンのバッグやグッズ