第8回 小石原焼 — 伝統に学び、新たな可能性を拓く - 匠にであう - アクロス福岡
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第8回 小石原焼 — 伝統に学び、新たな可能性を拓く

現代の小石原焼(鉄鉋の小皿・茶碗など食器類が多い)
▲現代の小石原焼(鉄鉋の小皿・茶碗など食器類が多い)
日常雑器の中に、巧まない美しさがあることを提唱した民芸運動が、全国に広がった時期があった。江戸時代から生活雑器を産出してきた小石原焼も、それによって広く認識されたといっても過言ではない。民陶ブームが沈静化したいま、伝統の中から新しい小石原焼の可能性を追求している若い陶芸家を訪ねた。

小石原は大分県日田市と接する福岡県朝倉郡東峰村の北部にある。ここに50の窯元が集中する。今回、登場して頂くのは、小石原焼陶器協同組合の青年部(太田剛速[たけとし]部長、21名)の熊谷裕介さんだ。

40歳を上限とする青年部は、「小石原焼を求め、観光バスで人がやって来た」ブームがピークを過ぎた頃、休眠状態から目覚め、再活動を始めた。それから既に20年ほどが経ち、熊谷さんらは「重い、暗い小石原焼のイメージを払拭するために外に出てアピールする必要性を感じている」という。

民芸運動で脚光を浴びた陶芸の里

小石原焼が小鹿田[おんた]焼(日田市)とともに脚光を浴びたのは、民芸運動の主導者の柳宗悦[やなぎむねよし]、イギリス人陶芸家のバーナード・リーチ、濱田庄司らがこの地を訪れたことによる。リーチは小鹿田に逗留して「飛鉋[とびがんな]」や「刷目[はけめ]」など独特の装飾技法を学んだことを『バーナード・リーチ日本絵日記』で紹介した。今から53年前のことだ。

さらに300年遡る江戸初期に小石原焼は始まったとされる。黒田藩が朝鮮から招いた陶工によって複数の焼成室をもつ連房式登窯が築かれ、民陶と茶陶の二つの流れが小石原焼の源となったという。

小石原焼伝統産業会館で「中野焼」と呼ばれていた初期の小石原焼を見ることができたが、それは徳利や壺、瓶など大きな雑器が中心だった。現在の小石原焼は、生活様式の変化から、主に皿や茶碗など小型の食器類に変わっている。
(文・安藤憲孝)

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    カネハ窯
    TEL:0946-74-2203
  • お知らせ

    小石原焼 陶器組合青年部 作陶展
    2007年11月1日(木)〜11月4日(日)
    「碗〜wan〜五十選」。
    青年部の選抜による碗五十選を展示。
    アクロス福岡1階コミュニケーションエリアの喫茶コーナーでは、お好みの小石原焼カップが選べます。

  • 絵・文  あんどう・のりたか
    年甲斐もなく好奇心が強い。無論、全てにそうではないが、特にモノ作りの現場でいつの間にか身を乗り出している。創造の世界が新鮮に映る。衰えそうもない好奇心に当分、付き合っていくか…
熊谷 祐介さん(35歳)
▲熊谷 祐介さん(35歳)
小石原焼初期の中野焼(小石原焼伝統産業会館)
▲小石原焼初期の中野焼(小石原焼伝統産業会館)
青年部のメンバーによる碗
▲青年部のメンバーによる碗