旧志免鉱業所竪坑櫓 ―志免町―
九州は明治の初め文明開化の先陣を切っていた。福岡の石炭は製鉄と蒸気機関の重要なエネルギー源であったが、とりわけ明治22年海軍採炭所として開坑*1した志免町の石炭は軍艦には欠かせない高品質であった。
昭和に入ると軍事採炭場としての重要性が益々高まり、次第に地下深くまで採炭する必要が出てきた。海軍は深い竪坑と鉄筋コンクリートの高層竪坑櫓を計画し、太平洋戦争開戦と同じ昭和16年に着工、18年には竣工している。
この櫓は志免町のあらゆる所から見ることができる。高台に立つ上に高さ47メートルで15階建てのビルに匹敵し、現在の福岡にもこれぐらい高い建築は僅かだ。その無骨さは天にあらがうバベルの塔のようでもあり、ドイツ軍の高射砲搭のような容赦のない不気味さをもっているが、軍事施設としてこの建物を見れば理解し易い。430メートルの地底から石炭や人員を運ぶことは相当大変だろうが、コンクリートがはがれ落ちた部分からうかがえる束のような鉄筋はどう見ても過剰設計だ。建設物資の統制が厳しく、セメントも非常に貴重な時代に作られたが、福岡西方沖地震にも無被害であった。海軍の技術少将だった設計者は簡単な鉄骨でなく爆撃にも耐えるように鉄筋コンクリートで設計したに違いない。
周辺一帯は子供たちの無邪気な遊び声が響く広場として整備されているが、風化しがちな戦争の厳しい歴史を伝える産業遺産として貴重な存在だ。
*1 第二次世界大戦後、運輸省の管轄を経て昭和24年に日本国有鉄道志免鉱業所となる。石油などがエネルギーの主役となり昭和39年に閉山。
写真・文|大森久司
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アクセス
西鉄バス「東公園台2丁目」下車備考※柵外より見学自由
▲1 南側より
▲2 むきだしの鉄筋
▲3 櫓の近くに残されている第八坑連卸坑口(斜坑口)
▲4 掘り出された石炭
▲5 町並みから眺める櫓の風景