数山(すやま)家住宅 ―添田町―
茅葺(かやぶき)の屋根は私が生まれた昭和20年代は当たり前であったが、今ではほとんど見ることができない。数山家も県内に残る貴重な茅葺民家で、江戸末期1842年の記録が座敷の押入れから見つかっている。英彦山(ひこさん)神宮への旧参道に接し、当初からこの規模で豊かな農家であったことが推測される。
寄棟直屋(よせむねすごや)造り*1と呼ばれる単純な屋根構造だが、裏山をバックにした間口21mを超える姿は実に雄々しい。樹木が覆いかぶさり、屋根に生えた雑草も自然と一体となり趣がある。外壁は土壁で軒が短く雨が掛かる東壁は割竹(わりたけ)*2(写真▲1)を全面に貼っている。
内部の左半分は大きな土間(写真▲2)で、見上げると6mを越える合掌の屋根裏(写真▲3)が吹き抜け、マヤと呼ばれる馬屋や蔵、かまどがある。右側は広間(写真▲4)や茶の間、座敷などの住居空間になっている。いずれの部屋も床はひもでつないだ小竹を敷き並べ、筵(むしろ)を敷いた質素な造りだ。冬はきっと寒かったろう。天井も竹をそのまま並べてあるが囲炉裏の煙で黒光りしている。奥の座敷は畳敷きだが天井は割竹を板のように設(しつら)えてある。壁は土壁で床間(とこのま)や長押(なげし)など装飾は一切なく、煤(すす)で真っ黒になった梁(はり)や大きな柱は質実豪快な家風を今に伝えている。壁仕上げの漆喰(しっくい)は貴重であったろうし、江戸期には板を取る大木伐採は制限を受けていたと思われる。
訪れる人は少ないようだが、糸車(いとぐるま)や昔の脱穀機などの農具も集めてあり、当時の暮らしぶりがよく分かる。郷愁に浸るだけでなくぜいたくな消費文明の反面教師としても参考になる建築と思う。
*1 直屋造り・・・曲屋(まがりや)やくど造りのように屋根の棟が曲がっていない直線の屋根の家
*2 割竹・・・大きな竹を縦に細かく割って広げ板の代わりに使う
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場所・お問い合わせ
田川郡添田町津野1788アクセス
添田町役場企画財政課企画係
TEL:0947-82-5965JR日田彦山線添田駅から車で約20分備考休み:月曜・祝日
営業時間:8:30~17:00
▲1 割竹
▲2 大きな土間
▲3 屋根裏
▲4 広間
▲5 入口