朝倉市秋月伝統的建造物群保存地区 ―朝倉市― - ふくおか建物紀行 - アクロス福岡
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朝倉市秋月伝統的建造物群保存地区 ―朝倉市―

朝倉市秋月伝統的建造物群保存地区
▲ 朝倉市秋月伝統的建造物群保存地区

筑後川の支流小石原川を登っていくと、黒田藩の支藩秋月五万石8代藩主黒田長舒によって着工された見事なアーチの目鏡橋(▲1)が目につく。長崎から石工(いしく)を呼び寄せ造られ、スパン*1が13.4メートル以上もあるのに高さは平均3.3メートルと扁平で橋脚の高さも左右で違っている。さらに精度が要求される硬い御影石を使ったため工事途中で崩壊してしまった。1810年9代長韶(ながつぐ)の時にようやく完成したが、当時の最高技術を駆使していたと思われる。

商家が並ぶ町家(▲2)を抜けると、城跡を背に杉の馬場(▲3)の通りと堀が一直線にのび、瓦坂や長屋門、黒門(▲4)などお城の遺構が残っている。町の南にある茅葺(かやぶき)の旧田代家(▲5)住宅は、江戸時代の質素だが凛とした侍の暮らしぶりが感じられる建物だ。久野邸(▲6)や戸波邸(▲7)(秋月郷土館)などは外観が保存され生活道具から手紙、島原陣屏風などを記した書類など貴重な資料が展示されている。兜や日本刀など名品がずらりと並ぶ中で本物の大筒を抱え上げて戦国時代の気分をあじわうこともできた。

城跡や武家屋敷、町家など城下町の形状を残している秋月は江戸初期に黒田長政の三男長興(ながおき)によって町割りが造られた。わざと鍵型にした導路や、縦横に走る石積みの丈夫な水路が往時のままで残っている。高名な儒学者原古処(はらこしょ)や天然痘の予防に功績のあった緒方春朔(おがたしゅんさく)など多くの人材も輩出し、江戸中期には小藩とは思えない文化の高さを誇った。しかし、明治に入ると秋月の乱*2が起こり、政治、経済とも求心力を失い、急速に街が衰え城内の館や多くの屋敷は失われてしまった。小高い城址の一角から望む美しい屋並みは貴重な存在で大切にしたいと心から思った。

*1 スパン・・・柱と柱の間の距離

*2 秋月の乱・・・明治9年に旧秋月藩土が明治政府に対して起こした反乱。数日で小倉の政府軍に鎮圧される。秋月の貴重な人材が失われた。

写真・文|大森久司

  • 場所
    朝倉市秋月
    お問い合わせ
    朝倉市教育委員会文化課 
    TEL:0946-22-0001
    アクセス
    甘木鉄道「甘木」駅より甘木観光バス秋月行き乗車
    「秋月」バス亭下車
    参考
    秋月郷土館・・・毎週月曜休館
    久野邸・・・毎週月曜休館
    旧田代家庭園・・・年中開放
目鏡橋
▲1 目鏡橋
商家が並ぶ町家
▲2 商家が並ぶ町家
杉の馬場
▲3 杉の馬場
黒門
▲4 黒門
旧田代家
▲5 旧田代家
久野邸
▲6 久野邸
戸波邸(秋月郷土館)
▲7 戸波邸(秋月郷土館)